コミュニケーションという名の「私だけがあなたのことをわかっている」ビーム

昨日の話。

たとえば、ブログのコメント欄が荒れたときに

「荒らし対応ご苦労様です」と、コメントに書くと、これはまぁ挨拶の意味もあるけれども、荒しをしている人の層からひとつ批評的なメタの層に上ってわたしは喋ってますよ、ということになる。「ご苦労様です」と言いながら、「荒らし」の人を横目で踏みつけにしてるわけですね。

先生の前でわざとらしい会話をする中学生(中学生のかた、すいません)みたいなもので、ブログの主から何ポイント稼げるか、というゲームになっていく。うまいことを言って同意をとりつける人もいるだろうし、叩いてみて自分の主張が相手にどれだけ影響を及ぼすかをポイントにする人もいるだろう。

まぁ、わたしみたいに、茶化すようなことを書いて言及したりするのも、遠回しに「私なりにこの一件の意味は理解できてますから遊んでみましたよ」という、構ってビームを出していることには、変わりない。

あまりいいこととは思わないが、やめるべきだ、とは思わない。たんに、そういうのはコミュニケーションの遊びの部分だ、ということなのかな。それが議論だと勘違いするといろいろ揉める。

んーこういうのはどうだろう。コメント欄ユーザ同士が軒先でそういう階段上りゲームをはじめないために、ゲストコメントとブログ運営者コメントは、かならず交互にしか書けない仕様にする、とか。