なんでも (2)

しかしカネを尺度にするというのは、カネに自分の不安をマップするということですよね。僕は交通事故で加害者側になったことがありますが、先方との交渉をつづけるうちに、もうどうでもいいから終わってカネの問題にしてくれ、と思うようになりました。つまりこれが、痛みと後悔という平板な感覚に自分の不安を変換する、ということです。このカネが何に使えるかと考えると、腹立たしいかも知れませんが、建設的になれるとは思えません。