反対の反対の反対の反対なのだ

はてなブックマーク」(以下、はてブ)のコメントによる批判が適正に行われているとは思っていないが、だからといって、はてブコメントも十分な批判を受けるべきだとも思えない。

どうも批判という言葉がうまくのみこめない。

批判ですらない半ば私的なつぶやきを批判と受け取られるのは何だかな、という人がいて、自分もそれに含まれるのかもしれない。

ここに対立があるとするなら、以下の二つの立場ではないか。

  • a)webに書いたことには常に一定量の責任が伴い、「おかしい」「間違っている」という言い方は批判としての性格を持つ、という人
  • b)webに書いたことに公的なステートメントより弱い私的な言及・メモを認めるとすると、書く段階からそこに全ての責任が発生しているのはおかしい、(コメントを批判と受け止められた時点で説明ややりとりの責任が発生する)という人

「批判と受け止められた時点で説明責任が発生する」というのは、aの人から見れば無責任かも知れないが、実際にはどういうコメントやタグでも言いがかりと解釈されることはあり得るので、事前にその全ての責任を負うということは不可能だ、と、bの人は考える。

そう考えることで、「批判」と「責任」の話題を一歩前に進められないだろうか。

どうも「わかってやってるならいいじゃない!」式の<自己責任論>が展開するのが(控えめに言って)苦手だ。

それはさておき、ブックマーク時に「自分の日記でエントリを書く予定」オプションを入れると、<本論はこちら>リンクが作られるというのはどうか、と今思いついた。アンカーにentry番号を自動的に付けるなどして。