コミュニケーション教とボードゲーム

なんでも、コミュニケーションスキルというのが人間のスペックには大事らしく、ボードゲームなどの対人ゲームは、コンピュータゲームよりもそのスキルとやらが培われる、ということになっているらしい。

そうかも知れないし、そうでないかも知れない。

そうでないかも知れない可能性を排除し、この「コミュニケーションスキル」とかいう、なんだかよくわからない正しげなものを後ろ盾にするのは宗教に近い。「コミュニケーション教」と名付けよう。

たとえば、「ボードゲームはコミュニケーションを増進する。だからいいものである」などという反論不能な言明が簡単に可能になる。

反例として、コミュニケーション主体のゲームであるMMORPGが、廃人と呼ばれる、社会生活を放棄した愛好家を生み出している、という事実を挙げてみよう(これはほとんど揚げ足取りだが)。

これに対して、わたしの中の、コミュニケーション教信者(仮想人格)は「それは、MMORPGは電子ゲームですから…ボードゲームには木のぬくもりがありますから…」という、これまでなかった判断軸を持ち出して、分析を放棄して問題をすりぬけようとするのである。

この日記で何度も書いていることだが、ボードゲームにコミュニケーション増進という側面があるのは確かで、それが人間関係を円滑にする場合があるというのも正しい。しかし、それが全てではない。効用なんて人それぞれだ。

対外的に説明するとき、それら効用のなかから、相手に理解されやすいと思われるものを選ぶことはある。それは方便だが、嘘をついているわけではない。

わたしにとって、ボードゲームの何が楽しいのか、ぐらい、自分で発見する権利がある。勝手に「ボードゲームとはコミュニケーション増進するものである」だとか、わたしにとってのよさを決められたら、それは腹立たしいことだろう。