ソーシャルブックマークのタグ付けにノイズを感じる件

SBSのタグは、個人の行為の積み重ねが、全体としてはだいたい良好な結果を導き出す、という予測にもとづいてデザインされているので、これにノイズが入る、という言い方がよくわからない。

「そういう周辺領域が中心を活性化させるのです!」とか言っておけば、web功利主義者を納得されることができるかもしれない。

自由に使っていいですよーと巨大な粘土を渡されて、100人で好きずき部分部分をいじって遊んでいたら、突然学級委員が現れて「みんな! もっと全体のことを考えていじろうよ」とか言われてる感じですよ。出てきた結果が全てなのに。

追記

ちょっと昨日からの流れで「立場表明」→「べき論」へのすり替えに過敏になってるようだ。

ブクマされているようなので補足。

こういうことを書くと、いったん話を公共性という上のレベルの話にして、そこから別の場所、たとえば「はてブの暴力性」とかいうところに着地して、「だって自由なタグを許したら暴力的なタグを止められません」とか言う人がいるが、それは話の展開がおかしい。混ぜないでください。

恣意的なタグがノイズに見えるということがどういうことなのか分析するべき。

  • 恣意的なタグがノイズに見える
  • (全体で見てつかいにくいもの、恣意的なタグは悪いもの)
  • (ならばタグから恣意性が減ればいい)
  • ならば、タグは気をつけて使おう

括弧内は暗黙の前提だが、この前提が正しいかどうか問われないので、議論が一方向にしか流れていないような。

追記2

タグ空間がノイズのないクリーンな空間であるべき、というのは嘘であることについて。

何でもかんでも自由にやらせろ、ということを言いたいわけではない。原理的に「全体のことを配慮して使いなさい」という類のものではないのでは、ということ。

単に、「記事によくタグをつけてまわる熱心なユーザはリテラシが高いので、全体的にはゴミタグよりも洗練されたタグが多勢をしめるはずだ」という理屈の上にのっかって動いているだけ。結果的に、よくつかわれたタグ、よくクリップされた記事が上に上がってくる。

たとえば、なんでもかんでも[hatena]タグをつけてまわっている人にむかって、「ノイズが入るからやめて」と説得できるのか、と考えると、あまりいい文句が思いつかない。