コメントにお返事

同じテーマについて繰り返し書いているとだんだん自分でおもしろい書き方を求めてささくれた筆致になることがあります。

id:nomura-osakaさんよりコメントいただきました:

メタゲームと考えられることはその通りだと思うんですけど、だからゲームとして処理できるかというとそれは難しいんじゃないでしょうか。面白いゲームとつまらないゲームがあるように(というのはもちろん好みの問題ですが)、面白いメタゲームとつまらないメタゲームがあるはずだと思います。人のプレイスタイルにその場で注意を挟むのが難しいのは、それでその後のゲームが楽しめなくなると思うからですよね。

ゲームとして楽しめ、ということではなくて、一歩引いた視点で見ることで、「オレは長考嫌いだもんね!」のゴリ押しではなく、いろいろな戦略の試しようがあるのでは、という意味で「メタゲーム」という言葉を使いました。

やりとりをゲームとして楽しまないのが不思議、ではなく、一種のゲームとして認識すればやり方の選択の幅はあるんじゃないの、という提案です。

一般的には、人間間のやりとりをゲーム的なものと認識することは、「ものは言いよう」であるとか「もうちょっと考えてしゃべれ」であるとかいうふうに要約されるところじゃないでしょうか。ただまぁ、そういう言い方をすると「配慮しろ」「空気嫁」と大差ない放言に受け取られてしまうので、細かく言ってみました。

だから必要なメタゲームは「人のプレイスタイルに注意をし、かつその後のプレイの楽しさが減らないようにする」というものですよね。

そうは思いません。ゲームという比喩を出したのがまずかったんでしょうか。おっしゃっていることは、「注意する」という時点で、ゲーム内のひとつの戦略じゃないんですかね。

私が考えていた「ゲーム」とは、

  • 各人に達成したい目的がある(じっくり思考を楽しみたい、場の雰囲気を楽しみたい)
  • それらは人によって違っているかも知れない。場合によっては利害が衝突するかも知れない

という前提条件の下で、

  • 最終的にお互いが壊滅的なダメージをあたえあわないように利害を調整して
  • 各人が戦略的に行動する(ここのところで「やんわり注意」「長考ゴリ押し」その他の戦略が選択される)

一連のやりとりのこと、対話の場のことを、想定しています。だから「やんわり注意」というのはひとつの戦略の選択肢であって、マストではないですよ。やんわり注意するやりかたもある、わからないで迷っているのであればアドバイスするやりかたもあるでしょ。

他人に「長考するな」と押しの一点張りするより、ゲーマーをもって自認されるのなら、そのときの対応(戦略)を自分で考えたらどうなんですか? ということなんですが。まぁ別にこれは、ゲーマーでなくても、ふつうにやることですが、ゲームという喩えを強調して、「ゲーマー」のプライドを煽ってみたかったわけです。

そのテーマに対して、ようし、ゲームだ、頑張るぞ、とは思えないです。コミュニケーションと考えるかメタゲームと考えるかは解釈の問題ですけど、ここでの問題をメタゲームと考えるのは非現実的だと思います。

うーん、非現実的、という形容がよくわかりません。XをYととらえてみたら、うまくいくんじゃないの、ということなので、現実的に妥当かどうかという尺度で判断されるのはどうなんでしょうか。もっとも上に述べたとおり、「ゲーム」としてとらえる、ということは、ゲーマーに対する一種のレトリックを含んでいます。