外読書

あまりに腹立たしいのでライブ。石原千秋『国語教科書の思想』という本が、著者のどーでもいいノイズが多くて、オレにとって新書として機能しない。ひどい。カルチュラルなんとか、とか、それ自分がdisりたいだけで書いてんだろ。読みながら「は?」と、何度も固まる。

帰宅

いやほんとに。
東浩紀もこう言っている…」とか脈絡なく書いてあるくだりで我慢の限界に。著者の石原さん自身のフィールドでないからこんな酷い書き方になるんだろうか? ただ自分の知ってることを並べて放言してるようにしか読めなかった。一応事実があるのに、こう読んでくださいという意図を先に出して問題提起も何もしないから、面白くもならない。

せっかくなのでISBNを貼る。

追記 2

好きで読んでいる本の60ページくらいを読んだだけで悪口を言ってみるコーナーのつづきです。このタイトルの本に期待しているのは、国語の授業が道徳的性格を持っていること、そのせいで作文の時間も、一定の倫理的コードに沿って書くように無言のうちに強制されるようになっているということを、今更知りたい、ということではなく(それは、インタビューなどでマイクを向けられた小学生の去勢されたようなしゃべり方から充分連想可能だし、自分が過去小学生だったことからもわかります)、なぜそういうことが可能になるのか、あるいはそういった倫理コードを設定している誰かがいるのか、ということです。途中までしか読んでいないのでここから先に書いてあるのかもしれません。しかし、「ごんぎつね」の話題で一節を書き起こしておきながら、突然「東浩紀動物化する…」と、動物といえばつながりでどうでもいいことに触れるような書き方がされてある本に、綿密な検証を期待するのは難しい。仮に綿密に検証しているとしても「ま、オレはカルチュラルなんとかみたいな連中は気にくわないんだけどね」といった意味のことを、端々に挿入するようなインターフェイスの文章では、それを納得させようとしているかどうかは疑わしい、と思いました。端的に言うと寒い。
…えーと、まぁ我慢して読みます。