数学に関するイメージ操作能力と語学の能力

a.

いつものごとく、「ながら見」で詳しくはよくわからないのだけど、NHKで、数字に関する認識能力の高い人の番組をやっていた*1。「2040年2月13日は何曜日?」だとか、「17の7乗はいくつ?」という問題に答えたりする…日本では「びっくり人間コンテスト」に出てきそうな話題なのだけども、それを真面目に研究している人がいるよ、という話。

そういう能力(以下「能力」)を持つ人の脳の中の数に関する処理構造は、数そのものが持つ構造にマッチしている、ということらしい。

「能力」を持った人の頭の中で、「かけ算」はどのように処理されるのか、というのを、イメージ映像で作っていたのが面白かった。両側に二つの数の「かたち」を思い浮かべて、その間の空間にぴったりあてはまる「かたち」を探す、のだそうだ。そして、その「かたち」を読むことによって、徐々に数が明らかになってくる、というのだ。

素数がなめらかだ」とか「πには風景とリズムがある」という話も。

先日自分の日記で、「奇数はとがっている」「偶数はまるい」といった感覚のことを書いたのだが、あの感覚を数万倍鋭敏に…というか複雑に? したような処理機構があるんだろうな、と勝手に解釈した。(そう解釈して、天才と自分の間が地続きであるということにしたい)

b.

脳トレ」の計算問題をやるとわかることなんだけど、足し算・引き算は直観で出来るのに、かけ算は、いったん言語野で<ろっくごじゅうし>と九九を読んで、それからそれを数字に変換しないといけない。(あーそれはオレの頭が理系として開発されてないからかも、だけど)

これは程度の問題で、たとえば、「7+6」という計算であれば、6のうちの3が7の欠落の3を埋めて、残りの3が10からあふれる、というイメージを想起することは、わりあい簡単に可能なわけだ。「能力」の持ち主だけでなく、数学ができる人っていうのは、そのあたりの処理が、難しい計算まで、右脳的にできてるんだろうなぁ、と思った。

逆に、九九で強制的に言語にマップしていることが、縛りになってるんじゃないか? と…これは妄想。そろばんやってる人なんかの脳の働きを想像すると、妄想でもないが。

あれだな…「サイン・コサイン・タンジェントの形を、筆記体の書き順で覚えるのは文系」というのにも通じている話…。

c.

と、やっぱり理系は違うやハハン、という話に落ち着かせることができればよかったが、この人は語学に関しても驚異的な才能を発揮するのだった(あらまぁ…)。

アイスランド語を1週間でマスターして、テレビのインタビューにきちんと受け答えできるようになっていた。

これは特に意外なことではないように思われる。語学をやっているときの「勘」、会話の中から、文法や言い回しの本質的な構造(なぜそんな言葉を選んで使うのか、という、肌触りに近いもの)を察知して理解する能力が、やはり同じように特殊なプロセスで機能しているのだと思った。

c2.

「ハウスとホームの違いってなに?」と、中学生のとき、好きだった女の子に尋ねられて、そんなん感覚だと思っていたのだがストレートに感覚だろとはもちろん言えずに「その…意味的な…家庭てきっていうか…あと建物が…」と、へどもどしたことを、今突然思い出した。

d. メモ

  • 勉強の中の「勘」のフィードバックが大事。
    • 語学学習でネイティブと話す価値はそのへんか。本場の発音とかそういうのはどうでもよくて、生きた「言語体」をあちこちからいじりまわしてその形をたしかめることができるから。
  • 自然言語なら「勘」を打って帰ってくるものがあるけど、プログラム言語などの、人工言語はどうなのだろう
    • あ、それはもっと簡単で「コンピュータの動作原理」を理解すればいいのか

あとでいろいろ言われないためのdisclaimer

番組の信憑性に関して、必ずしも全幅の信頼を置くものではありません。まぁ、凡人から天才の間の繋がりが、ありそうだって思えたほうが、いいじゃないですか。

*1:後記:www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/36.html