自家中毒の効用
最近はおんなじことをじっさんの繰り言みたいに書いているような気がするのだけれど、そういうのも繰り返しやってみると、なんかの拍子に憑き物が落ちるのかも知れない。今日の分のは、自分で書いていてもかなり気色悪かった。
気色悪くないときのことを考えていた。
- 過去自分の日記が「おもしろかったとき」というのは概念や考え方をあるジャンルからロードして現実に適用しているときだ(ex.「競りゲーム」「叙述トリック」など)
- それは「出会いの楽しさ」なので、今更同じ書き方はできない。というか、飽きた。
- ブログ寿命3年説というか。よく言われるように自意識の問題もあるのかもだが、片手に生活、片手にジャンル意識を握って直観で書くスタイルの寿命がそれくらい(きちんと文章を書けばもっと短いかな)ということもあるだろう。
- で、飽きてくると、教養に目覚めるとかプログラミングを始めるとか、いろんなとっぴなことをしたくなる。
- そういうふうに感じるのは健康的なのかも知れないが、それによって日記の生を延命したいということかも知れない。日記人格の呪縛恐るべし。
- 人が知っている知識や教養を身につけて、さてどうするか、というと、それでブロゴスフィアの中に入っていくつもりだったみたいだ。自分は。
- というか、「今のできてない自分」「未来のできた自分」を別々のものだと思ってる時点で、いったい何歳なんだおまえは、と、自分に対して思った。
んー、眠い…。