「かまいたち」今作を、やっぱりしょうもない…と感じた場合の立ち位置

チュンソフトはこのゲームの制作環境こそを売るべきだよ! とか言う予定。

こういうゲームを、「フラグの管理」「シナリオの分岐」などといった基本的な概念だけを道具に、辻褄を合わせながら作るのは非常に大変なんじゃないかと思う。エクセルでシーンの管理とかしてたらマジで泣ける。フラグのようなローレベルのことがらだけでなく、話の辻褄を合わせる、といった、上のレイヤーの作業にも対応した環境はないか。

作り手よりも、プレイヤーにとってのツールの意味を考えていた。

フラグや分岐といった、大昔から全く進歩のない概念が、アドベンチャーゲーム/サウンドノベルとはそういうものだという固定観念のフレームになり、プレイヤーが「シナリオ」「謎」「世界観」に固執する要因をつくっている…と思われる。

ツールを売ることはそのフレームに新しい概念を持ち込む、手っ取り早い手段なのではないだろうか。

あーたとえば、「叙述トリック」という言葉が存在する前は、ある種のミステリは「汚い!」と罵られるだけのものだったかもしれない。「叙述トリック」という言葉によって、語りそのものに注意を向けるという楽しみ方が開発されたのだと考えてみると、受け手の中でも、概念が果たす役割は大きい。

この手の「謎解き」ゲームでは、作り手は、謎解きそのもののアイデアに、それほどエネルギーを使っているのではないと思う。ゲームのある時点でキャラクターが知り得た事柄、プレイヤーが知りえた事柄をどう管理するかに多く気を遣っていると思う。

それらに破綻がないように管理しながら、同時進行で話が書けるようなツールがあったとして、そのツールの中で、プレイヤーの脳バッファ管理という概念に適切な名前が与えられれば、プレイヤーも制作者も、もっと先に進めるかもしれない。

まぁつまり、「ひぐらし」みたいなのをシステマチックに作れるのかどうかという。(ひぐらしやったことないですけども)