端的に言うと

てか、書いててまた長文になったので慌てて端的に結論だけ書きたい、のだがたぶん無理。

ボドゲが流行した!」という現象にはほとんど興味がない。そもそも自分がいつ飽きてやめるかわかんないし。もうちょっと買いやすくなって欲しいから、そこそこ本数は売れてほしいけど(そのあたりがXBox360売れて欲しいと相似でしょうか? でもないかな…)、売れてないから日本はだめだー、とか思わない。

そもそも、何のためにやってるかというと。自分の場合、ルールを説明して、一緒に遊んでいるうちに生まれる「そういうことか!」という発見を共有したい、というのが大きい。

ゲーマー同士で始めた「ケイラス」のプレイ中に、電気が走るようにシステムへの認識が生まれるときも、やったことない人が初めて「6ニムト(ニムト)」をやって「わー、なにこれこわーい」と変な感覚に戸惑うときも、同じように、見てて楽しい。おもに顔が。

いろんな人にその驚きと喜びが伝わるといいと思う。あーこの「いろんな人」とは文字通りのいろんな人。自分が接することになった人。

「親子のコミュニケーションを求める団塊ジュニア世代」に、メーカーや販売店の戦略が当たってゲームが何本売れたからって…いやほんと、興味ないです。

むしろ、社会階層や生活習慣の違いで、人はこうもゲーム脳にはならないのかぁ、と、ディスコミュニケーションを感じる機会が多いなぁ。人と会う多様な球筋に対応できてないんだと思いますけど。

団塊ジュニアの親子連れ」待ちじゃ、私の周りじゃ100球に1球来るかこないかでしょうね、と思うので、皮肉も出るわけですな。自分のやってることの間口の狭さがよくわかってないまま「親子のコミュニケーションが…」とかお題目だけ唱えるのは寒いと思うので、そのあたりには批判的な姿勢で。

追記

あーもちろん、ギョーカイ興味ない、私消費するだけ、というつもりはないし、狭い世界なのでうまく回るように協力はしようと思ってます。あと、理念を持って活動してる人の行動じたいは尊敬します。