コメントにリプライ

「本質的でない対策はやらない方がマシ派」の一例。何故だろうな。

そんな風には書いてないつもりですけども。
「本質的でない対策でも、摩擦解消の案として提案するのは結構なことだ。しかし中にはあたかもそれを絶対必要な条件のように(たとえば、泥棒嫌なら鍵かけろ、みたいな恣意的な比喩で)言う人がいる。それには誠意がない」

といった感じです。

ちょっともやもやした感はあります。雑感の最後、当然そういう感じの人も居るだろうし、件のひとはもっと違う何かに憤っているように思います。

それはなんとなくわかります。どういう文句を言っても、こちらの言語で答えが返ってこずに暴れているうちに、スクラムの規模だけがでかくなる状態。
「おや、雨が降ってきた」と言ったときに「じゃぁ傘をさせばいいじゃない」という答え方をされても、そりゃ正しいかも知れないがオレはそういう話をしてないんだよウガー…という感じでしょうか。暴れれば暴れるほど「なんでこの人は傘をさすのに抵抗するんだろう、不思議な人だなぁ」「雨が降ったら濡れるのに」という、凡庸な感覚の人を呼んでしまう。

追記

上のように言うと「嫌がってるんだから配慮してやれよ理論」と解釈されがちだが。

別に特別に配慮はしなくていいと思うし、「リテラシーのない」人の間違いっぷりを笑うのも自由だけど、笑うときには、「ごめん」くらい頭に付けて笑えんか、ってことじゃないかなー。「悪いけど、君の言葉はここでは通じないから、要望は受け入れられないんだよ」でおさまる場合もあるかも知れないのにな。

そんな大口開けて笑うほど、わたしらの持ってる「正しさ」は立派なものではない。