たとえば

女の子と映画見に行くとき、それについて直後に喋る時間があるかないかでテンションが全然違う。自分のメタボドゲ話はそのへんの領域のこととして考えてると思う。

追記

上の記述が「女の子と」という限定が入ってるあたりが一般論ではないので、そこらへんが偽善者ぽいと言われるのかも(あぁボドゲと女子は関係なく、あくまで比喩で)。

追記2

それはさておき。

  • A.「日本でのボドゲは現状は**だ、もっと売れてほしい」
  • B.「卓を囲んだ人がとりあえず喜んで楽しさを理解してほしい」

という視点は交わらないように思える。「わたしの立場はBであり、Aではない!」というのはあまり意味がない。
しかし。Aという前提が問われないことが、Bのミクロな活動に縛りをかけている可能性があるとすれば、それはちょっと、問題だと思う。
ボードゲームのメインターゲットは**である」という思いこみで「普及」活動して、それで拾えなかった球を「まぁ、好みは人それぞれですから…」という必殺の呪文で正当化してるんじゃないだろうか…。と、思うようなこともある。

現状、漫画喫茶でブラブラしている茶髪のお兄さんだとか、50代の大学教授だとかに、ゲームをインストする光景を想像することはむずかしい。そういう人はそもそもやらないから…というのは、考える順序が逆だ。そういう人に伝達するようなシチュエーションが想像の範疇にない、ということだ。

ま、それは極端な話だとしても…食いつきのいいクラスタって、探せば他にもいろいろあるんじゃないの? と思う。

だから、Aで言われるような認識が間違いとは思わないのだけど、それを相対化してみてもいいんじゃないかなと。

追記3

ダラ書きなのでどこかにまとめること。