身も蓋もないまとめ(選外)
別項として、書いてるうちに脳からわいてきたことをメモ。圧縮してるので暴発注意。しかしもちろん、わたしはこっちのほうが面白い。
- お店にサークルが協力してイベントができるかという可能性。カタンとかならそれくらいあり得るかも。
- いや、問題はゲームのメジャーさではなく、店とどう話を付けるかというソーシャル個人技の世界。
- 個人名の書いてない、汎用的な会の名刺とか作ると、そこそこのものも作れるし、楽じゃないかな。
- 普及というのは教化ではない。自ら楽しみたいと思ったときに自分で楽しみ方を見つけるもの。遊ぶゲームの種類やスタイルをこちらが決めるのは「大きなお世話」と言われる場合がある。
- その人の生活のスタイルに応じたトスをあげてやる能力が普及活動のスペック
- 初めての人にはヴィラパレッティでしょう、というのは単なる紹介のノウハウであって、普及の要件ではない。ここが無意識のうちに混同されているのかも知れない。
- 「初めての人に紹介するのには簡単なゲームからがいい」これはノウハウであり正しい。
- 「簡単なゲームに親しんでくれる人から普及活動するのがいい」これは無根拠なのでは。誰が決めたのか。
- ここに、「日本にも家族で楽しめる遊びの文化を」というスローガンがかぶさって、話がやっかいになる。趣旨には賛同するが…(特に、子供におもちゃをあてがっておけという発想は大人であるオレの遊ぶ立場がないので)。
- だいたい、文化というのは自発的に楽しみを発見することであって、おもちゃ売り場に行っておもちゃを買う「消費」とは違うと思うんだけど。
- 「文化が根付いている」という評価基準を使うと、即売会でキャラグッズ作ってる人らが操り人形のパクリシステムでキャラ萌えカードゲームを作ることの方が評価値が高くなったりしないか。サークルで繰り返し遊ぶだろうし売る側にも買う側にも一定量の熱意があるだろう。
- 家族に伝わるものだけが文化だというのはおかしい。文化というのはミームの伝播です。
- キャラ萌えだからゲームとしては駄目というのもおかしい。ゲームシステムというのは結局のところ触媒であってそれを介して何かの価値が実現できればよい。「家族の団らん」と「萌え」はその意味では等価。
- とりあえず、おもちゃ屋に来る家族連れという固定観念を外すために、遊んでくれそうな人にどんなタイプがあるのか、ブレストすればいいんじゃないのか。
- んー、まぁ「草の根」という語感から自分が地味なイメージを感じているだけで、実際には「ゆうもあ」の活動は多様なのではないかと思う(自分たちがそうであることから類推すると)。
- しかし「草の根」「地道に普及」「親子で楽しめる」「文化」…これらの言葉の及ぼす呪いは強い。
- まぁ私が勝手に呪いの臭いを感じてシャドーボクシングしてるだけなら、バカだなぁでいいんだけど
- 個人がちょっと思いついたので、関係者と話つけたら話通っちゃいました、という身軽さでも「草の根」という組織の良さをだせると思う。真面目な話。