最近の本棚

「関係の空気」「場の空気」

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)
時間つぶしで流し読み。例が多くて読みやすい。
空気は日本語の問題だ、として、スキルが高い人に対してきちんとした日本語を要求する、というのはちょっと新鮮に感じた。みのもんた小泉純一郎のような人の言葉遣いの特徴に、常体敬体を使い分けて文章に緩急を付ける=自分で空気を主導するテクニックがある、とのこと。それはこの日記のことですか。
などと最後を敬語疑問文で締めるのはオレはカザノさんの日記で身につけたような気がするがどうだったかな。いや考えたのはそういうことではなくて、自分の書き言葉と話し言葉の違い、コミュニケーション能力の問題をちょっと。
オタがオタ語彙で情報を投げ合うことに熱中してしまうのは、常体敬体や空気に関する配慮の不要な名詞が中心の会話だからってことかな。空気から逃れられるというか、自分がネタを出して話している間は興味関心という形でだけ擬似的に空気を作れるからお手軽だ。そこを離れると、陸に上げられた魚のようになるのは言葉遣いによって関係性を築く必要が出てくるから? そこを吹っ切ろうとすると、空気を「あえて読まない」と自称しているが、実際のところ関係構築が不得手だからしないだけの極端な(たとえばプチウヨがかった)喋りになるのかも。無駄に攻撃的な人っているでしょう。それオレもか。
全部敬語で書くとか、全部敬語で喋るとかいう訓練は自分にも必要だと思った。