日記についての日記

仕事で複数の案件が並行して上がっていて、タスクリストにしてそこだけを見ていると腹が立ってくる。

なぜ腹が立つかというと、案件からのタスクというのは、自分の作業の因果関係とは別の因果関係を持っているから。だから、どれだけ案件を細かく分解しても、結果だけを求められているような気分になる。

タスクとして上がっていることを、そのままやらずに、自分の計画に忠実にやる(結果的に辻褄があうように努力する)というのが精神的な健康のためによい。

ここで転調

日記書きも同じだな、などと思った(この感想はどんな時にでも使えるので便利だ)。「disらない」「妬まない」などいくらでも<べからず>を挙げることができるだろうけど、基本的に外からの情報駆動で「反応」するのには、自分の考えをそのときの文脈に合わせて整形してかつコミュニケーションを取らないといけないので、エネルギーを使う。

追記

キーワードドリブンで何かものを書くという発想だった筈が、いつの間にか日記未満のソーシャルメモになってしまっていた、というのが、自分の断片部における失敗だったと思う(いや、失敗するほどのソーシャリティは発揮してませんけども)。

結論としては、思考しながらそのまま日記を書いても、自分は成長しない。

(成長する人もいるとは思うが、他人のことだしよくわからない)

思考を秘する必要はないけれど、コミュニケーションからは遮断するべきだと思うのだった。(g:epi)