匿名について

匿名で書いたものだから批判されても別の匿名で他人のふりして書けばいいじゃない、で、そういうことができるのがネットにおける強さじゃないの、という意見がある。

そういうの見てると、うへぇ、と思うが、文句を言っても仕方ないので圧縮メモ。

IDに信頼度というパラメータがついていて、それが「批判」「謝罪」によってあがったりさがったりするという前提というのがあるのかも。しかし、そういう前提を採用しない人もいると思う。

話をするということのプラグマティックな価値と人格的な価値を混ぜて話がでかくなってるんじゃないの、と思うことがときどきある。

一見「議論」「批判」とか言ってて冷静なんだけど、やってることはIDの信頼度に対する「批判」「謝罪」の通貨のやりとりになってる場合とか。そういうやりとりをしたがってるのは人格的な部分じゃないのか。

匿名だから書き捨てできる、批判されたら他人のふりすればいいじゃない、というのには愛がない。実際、匿名掲示板でも逆上しちゃう人だっているわけだし、他人のふりができる人だって、そういう感情が一切おきてないわけじゃないと思うけど。プラグマティックな処世術として、匿名だから切り捨てとこ、ってやってるだけじゃないのか。それがそんなに高級なことだとは思わない。