新参…とか言った瞬間に鬱陶しい方向に問題が決まるので言わないようにしたい

rAdioさんの日記で

あたり。

「コミュニケーションという名のカードゲーム」が、フレーバーだけいじった大貧民やら何やらの丸パクリで、システムでプレイヤーを考えさせるというボドゲ一般の発想とはかけ離れている…

という話題について、思ったことをざっと書きます。

前提

ボードゲームの人としては」みたいなスポークスマン活動にあんまり興味がない(google:mutronix スパイ site:2ch.net)ので、「そんなもんボードゲームじゃねえよ!」と言っても、相手はフーンだろう普通、というのが、表層的な感想。

逆に自分が十把一絡げに認識していることを、くどくどと、いやキミ、クラシックというものはだね…と講釈されても、フーン、としか思わないわけで、そのへんで人を責めるつもりはない。

皮肉っぽい感情がわくとしても、

ボドゲの業がない人は「デュエルだぜ」「バトろうぜ」「**のダメージ!」みたいなことを言ってれば平和でいいよね、オレらタイル一枚の値付けを2にするか3にするかで鼻血でるほど悩むのにねぇ

程度。

あぁ、TCGが嫌いというわけじゃない(TCG強い人は情報の水路ができていて、ボドゲもうまいので、すぐツーカーになれるし)。

そのへんを本気でけなし出したら、地獄の門が開くことだろう。

(flip)リスペクトの有無の問題なのか

別のことを書こう。

SFを語るなら、ジャンルに対してリスペクトして取りあえず千冊読んでから、的な言い方がある。

これは修辞だと思うので、100%マジで受けて立つ人(一部の、経験の浅い側を代表する人)が現れたら、あぁそりゃナイーブなことだなぁ、言ってる側がまじめに言ってるわけないのになぁ、と思う(google:野田 万華鏡 死ね)。*1

そこに古参と新参の対立を見たい人は、まぁ見ればいいというか。本人が見たいんだからしょうがないじゃない。

しかし、そういった目先のどうでもいいバトルは脇においても、「ジャンルへのリスペクトの有無」や、「ジャンルの経験値」と、語る資格を結びつけてしまっている、そもそもの発想も、ちょっと一面的なんじゃないかと思うのだ。

(flip)お前は「パンとは何か」という大命題を考えてよいと自認できるほど、今までパンを食っているのか

オレにとってのSFとは何か、という質問への答えを考えてみる。

SFとは何か、ではなく、オレにとってのSFとは何だろう、という設問。

冬樹蛉の間歇日記」がその答えに近い。冬樹さんは日記のなかで、それほど多くSFのことを語らない。しょうもない地口や思いつきを、一日ひとつふたつ書いているだけ。しかし読んでいると、自分は、そこにSFが息づいてるのを感じる。

ジャンルとしてのSFが何たるかを、早川文庫でせいぜい100冊かそこら読んだくらいのオレが語る資格というのは、ないのかも知れない。

しかし、自分にとってのSFということなら答えはある。それは、日常の出来事を位相を変えて処理できる「考え方」だと思う。「間歇日記」がそうであるように。かわった角度からものを見る考え方自体は、早川文庫を何冊読んでいようと、関係ない。

今日からでも、語り始めることができる。

(flip)

ボードゲームの話に戻る。

モノそのものにはいずれ飽きる。来年も再来年もコンスタントに、ドイツから、イカしたデザインのボードゲームが出続ける、という保証は、どこにもない。

そんなものの総体を「ジャンル」と考えるのは、ちょっと頼りないし、そこまで血道を上げて守るべきものではないと思うのだった。

守るべきではない、というのは言い過ぎかもだが。なにせ、スパイだからおれは(ここは冗談です)。

でも、この数年ボードゲームで遊ぶことで得られた、発想の仕方は、自分の中のどこかに根をおろしていると思いたいし、そうでなければやった意味がない。

その発想で何かを工夫したり、何かを語ることで、ちょっと身の回りにいいことが起きたら、それでもいいじゃないか、と思うのだ。

(対外的な広報活動の努力には、尊敬の念を抱くものであるけど)

*1:そういう無思慮な言葉が権威を強化して云々、という意見には、えぇ、そうですよね、と言っておく