メンテナンスというか自分のブクマを全部消して欲しかったりする

「30代独身男性は**なところが**でキモいから**」みたいな記事がSBSで話題になって、その記事を読んでしまう自分がいる。読んで「こういうのもう何回目?」とか思う。

でも、それはブックマークによって繰り返し抽出されてる記事を読んでいるだけ、なのであって、特定の人が30代独身男性を叩くエントリを書き続けているわけではない(酒井冬雪さんみたいな人もいるけど)。

そういう記事が同時にあちこちで書かれるということが、時代の気分を現しているんだ、その気分を拾い上げるのがSBSというものだ、なんて言い方があって、これがSBS擁護みたいなものにつながっている。

しかし「気分」っていうのは、観測であり、気分が発見できるから有用、というのはマッチポンプ的な擁護かもしれない。SBSによって、関心の動向みたいなものが伝播する速度は向上したし、それでもたらされる恩恵もあるけど。

読み手として、「また三十男叩きか」と思ってしまった時点で、気分の再生産に貢献していることになるんだろうな、と思った。

…えーと、まぁ、そのようにして私は私の自我を守ることにした。

追記

ソーシャルブックマークのようなしもじものツールをお使いにならないセレブ界では、だいたいこういった認識なのであろうか。上を書いた後で読むと脱力する。

たとえば、SBSを通じて「どうも世の中の未婚三十女は未婚三十男のことをカスだと思っているらしい」といった記事が繰り返し抽出されて、その印象が強化されるほうが問題だ、ということを、上に書いた。

記事単体には、「未婚三十男はカスだ」ということをキャンペーンとして広める意図はない(と思いたい)。

しかしそれがSBSに(いやまぁ、はてブ上では、か)拾われると、記事の内容が人の感情を刺激するという理由だけで、人気記事になり、人目に付きやすくなる。そういう人気記事は繰り返し現れる。そういった主張が、あたかも大きな声を持っているかのように思えてくる。

人の感情の、ある側面だけを抽出した記事だけを読むことで、本当にそんな人たちが世の中に一定の割合で存在しているように思えてくるわけだ。

それに比べて、自分の書いたエントリに対して「馬鹿」ってノイズがつくのが、そんなに問題なのか。ともかくそれは「書き手」の問題であって、ブックマークを使う「読み手」の問題ではない。