『数学ガール』の<萌え>とは何か
『数学ガール』が漫画になるらしい。
一方そのころわたしは:
「君は、昇降口から教室に上がる階段を、今まで何回も通ってるね?」
「うん…そうだね、何百回も」
その言葉を聞くと、彼女は、ちょっと唇の端を上げて、いじわるそうに言った。
「じゃぁ、問題。その階段は、下から上まで全部で何段あるかな?」
「え…」突然の質問に、僕はどぎまぎして、言葉を失った。「…そんなの、覚えてない」
「ほら、ね、見てはいるけど、観察していない」こんなときの彼女の目は、僕の顔を見てはいるけれど、焦点はそこにはない。茶色い瞳からはなたれた視線は、まっすぐに僕の瞳を通り越して、僕の脳髄を照射しているんじゃないかと思えてくる。顔なんてどうでもいいみたいに。
「正解は17段」
「…素数だね?」
「そうだね、素数だ」
といった調子の『数学ガール』ふう二次創作を考えながら、ひとりで楽しくなっていた。
丁寧な数学の参考書は、「そうだよ?」という明らかな事実から出発して、それらを変形展開し、組み合わせることで、もといた場所から別の場所にたどりついてしまう。これは、本格ミステリがやっていることに似ている(演繹的か帰納的かという違いはあるにせよ)。
もっと言うなら、読者の数歩先を歩きながら、意地悪そうに笑い、そのような謎を投げかけてくる人物のことを、私たちは名探偵と呼ぶ。
私が探偵小説の謎解き場面で感じる「ちょ、おまえ…」という屈折した愛と笑いの感情と、この本でミルカさんが誘発する<萌え>とは、実は、ほとんど同じものなのだ。なんということだ。ならもっとエンターテイメントとして読まれていいのに。ボーイ・ミーツ・ガールとは無縁の、鍵のかかった密室で。
この発見に唯一問題があるとするならば、それはわたしが『数学ガール』を完読していないということだ。
- 作者: 結城浩
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