いろいろメモ

ブーメランとかどうでもいいが

宮崎駿を軽々しくDISったらそれが「ブーメラン」で帰ってきて、自分の言論の信憑性が下がるとか、フラットなインターネットにもほどがある。宮崎駿を「DISる」とか、友達か何かか。

(これは、以前からある「作家さんのことを考えると批判的な記事を書くべきではないのか、あるいは書いていいか、どうか」という、どうでもいい問答の発展形だと思うが、ネット文章心得みたいな話になってキモさが脱色されているぶんたちがわるい)

ひょっとして若い人のwebの感覚には、遠くのものは遠くに、近くのものは近くに、というパースペクティブが、本気でないんだろうか、と思った。読み書きすることが、全部、信憑性やブクマ数みたいな経済の上に成り立ってるとか。

違和感 補足

議論の形式さえ守れば、どこの誰に何を言っても相手をして貰えて納得のいく説明が受けられて、それで不満が解消する(問題があるとしたら議論の形式をまもらない方が悪い)と思っている、ように見受けられるあたりに、若さを感じるのかな。

利根川なら「甘いわっ…」と一喝して済ませるところ。

どんな正論めいたことを言われても「おまえ誰?」で返して構わない(may)。