今日の再生 (11の物語)
11の物語, パトリシア・ハイスミス
ほとんど読んでなかったので読み直してみる。読んでいなかった部分から凶悪なのが出てくる。最初の3篇くらい読んでわかった気になっていた私が悪うございました。これは前振りなしで人に贈ったら怒られるレベル。
「恋盗人」
これはつらい。笑えるけど。
現代的には、「メールが返ってこないのはオレが書きすぎなのか、それとももっと書かなきゃいけないのか?」的なアレ。
「すっぽん」
「いい歳とって親に短い半ズボンを履かされて反抗不能」という、想像するだに気分が悪くなる話。その気分の悪さが***という結末に結びつき、その結末に心の中でちいさな快哉を叫んでしまう自分に、また不愉快な思いする。こういう、抑圧と反抗の経験は、男性にはあると思うけど、女性はどうなのか。(グンゼのブリーフをトランクスにしてくれと親に言えないのが抑圧で、黙って小遣いで買ってくるのが反抗)
「モビールに艦隊が入港したとき」
妻が酔った夫にクロロフォルムを嗅がせて……という話なのだが、妻の視点の語り口が、若干混濁して要領を得ない感じで、とりとめなく話題がとびまくって、読みにくい。
しかし、その読みにくいことが罠なのだ。「えっ、何々? きみは何が言いたいのかな?」と、耳をそばだてて聞き取ろうとすると、耳の穴から頼んでもいなかった煮えた油を注ぎ込まれる。
そして、自分がどんな人の身の上話を聞いてしまったか、わかったときには、逆向きに辿ったこの話は終わっている。主人公は愚かすぎて祈る時間すら与えられない。
そして読者は、この短編集の「でっかいかたつむりがでてくる、ちょっとクライブ・バーカーみたいな愉快な本」という印象が頭にあるから、この話の主人公のために祈ることを、忘れてしまうのだ。
邪悪だ……。
追記:語り手が大して信用できないと考えると、もっと柔らかめのバッドエンドを想定することもできる。
シャーロック・ホームズの冒険, コナン・ドイル
こちらも知ったかで読みかけだったのを読み進める。「ボスコム谷の謎」から、何かのスイッチが入って、ぐっとモダンに書けている感じがした。新訳のせいもあるかも知れないが。事件をワトスンが自分で考えてみようとして、資料をもとに自分の後頭部に手をあててみる、というくだりが秀逸だ。名探偵の手品まがいの解決で終わっていない。