息もできない
映画部部活にて。後で文章にするかも、の雑記。
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ
- サンフンは、プロトコルに暴力しか実装されなかった天使
- コマンドが「> なぐる つよくなぐる おもいっきりなぐる かるくなぐる」
- なのに、ちょういい人の顔してる(後で<実はいい人!>と明らかになるという構成ではない)
- 子供にも腕ひしぎ(遊びで)
- 倫理的なことを考えていても、出力は暴力。というより、考える回路も暴力になってる人、か。
- ヨニ(女子高生)との関係の非対称性
- 「家族に問題を抱えたもの同士が心を寄せ合う」になってない
- ヨニはサンフンに「私の家は金持ちで…」と嘘をついていたわけで、サンフンがその嘘をどれくらい信じていたかは定かではないが、まぁ「よく知らない」ということに変わりはない
- 漢江のシーンで、お互い何を考えていたのか…から考えていくと、サンフンはどうしてヨニに惹かれたのかがわからなくなるような
- 漢江の後のラストまでの流れは必要ですよ
- 死亡フラグ立ってるのに敢えて撮る必要ないだろ! 暗示させればいいだろ! ということではないと思う
- なぜならこれは「行き場のない暴力についての映画」ではないと思うから
- たとえば主人公をピアニストみたいな職業に変えても成り立つかもしれない、などと思った(それしか語る言葉を持たないという意味で)。
- ヨニの萌え感。腕組みしながら歩くかしこげな少女に惹かれるのはロリコンだぜ
- あのラストは「暴力の連鎖」を意味しているのか?
- でも、そういう、単純な悲劇だとすると、兄の姿にサンフンが重ねられるショットの意味がわからないよね?
- あれは、暴力の連鎖に呆然としているのではなく、ヨニが兄の天使性を認識した(ある部分で、兄を受け入れた)シーンなんじゃないのか?
- あそこでハっと、「兄はサンフンの何かを受け継いでしまったのだ」「サンフンは自分の母親が死ぬ現場にもいたのだ」ということが同時にわかってしまう、という描写なのかも知れず……そのへんはよくわからん。
あと1回ちゃんと観たい気はする。82点。
補遺
映画の始まるまえに、日本を舞台にした「行くところも戻るところもない」映画の予告をやっていて、たぶん言ってることはこの映画と大差ないはずなのに、観たい気がしない自分がいた。
韓国映画だと、貧乏も暴力も、一定のファンタジーのフィルタをかけてみえる(日本人に韓流スターがかっこよく見えるのと同じ理屈で)けど、同じことを日本でやると、ものすごく悲惨か、嘘くさいかのどっちかになるよなー、などと話した。
補遺 2
映画を作り終えて、ヤン監督にも変化が生まれた。「父親とひんぱんに電話をするようになったし、一緒に酒も飲むようになった」と笑顔を見せる。「自分を大事にして、やりたいことをやってもいいんだ」という自信も生まれ、父親も変わったという。「心が健康になったと思う。仕事一筋だった父が、髪の毛を伸ばして外見を変えた。つまらない変化かもしれないけど」とうれしそうだ。
これは、泣ける……。映画のつづきのようだ。
「サンフンは、携帯の契約をして通帳を作ることで、まわりの世界を確実に変えたんだよ」という話をしていたのだった。