最近の再生 (続・夕陽のガンマン、レッド・デッド・リデンプション)

続・夕陽のガンマン (The Good, the Bad and the Ugly , 1966, DVD)

ポイント、あらすじ

検索で情報を補足しながら。

  • the ugly, the bad, the goodの順番に登場人物が紹介される。
  • the good ことブロンディ(イーストウッド)は全くgoodに見えない。私利私欲で相棒のトゥーコ(the ugly, イーライ・ウォラック)を裏切り、コンビ解消だと荒野に置き去りにする。
  • 生還したトゥーコがブロンディの居場所をつきとめ、砂漠で同じ目に遭わせているとき、the bad ことエンジェル(リー・ヴァン・クリーフ)の追う20万ドルのありかを知る馬車に出会う。
  • トゥーコが目を離したすきに、20万ドルの場所の最後の情報を、ブロンディが聞き出してしまい、トゥーコはブロンディを殺せなくなる。
    • ここで話がセットアップされた感じ
  • トゥーコの兄のいる修道院でブロンディを回復させる。
  • 奪った馬車や軍服は南軍のものだったが、それが原因でトゥーコとブロンディは北軍に捕虜にされる。そこには潜入したエンジェルがおり、トゥーコを拷問して20万ドルのありかを吐かせようとする。
  • エンジェルはトゥーコを囚人にして、仲間とブロンディと20万ドルを探しに行く。
  • トゥーコは保護官と一緒に護送列車から飛び降り保護官を殺し、列車を利用して腕の手錠を外す。
  • トゥーコはブロンディの居場所をつきとめるが、ブロンディはエンジェルの手下と一緒におり、ふたりはエンジェルの手下を殺す。そのまま逃走し、北軍のある部隊に紛れ込む。
  • 橋を爆破し、20万ドルを隠した墓場に行き着くと、そこにはエンジェルがおり、三人のにらみ合いになる。誰かが誰かを殺したら第三者に殺される、という三すくみの状態になる。
  • トゥーコの銃から弾丸を抜いていたブロンディがエンジェルを殺し、決闘は終わる。トゥーコとエンジェルは墓を掘り、20万ドルを掘り当てる。エンジェルはトゥーコを脅し、追えないように絞首刑の体勢にさせておいて、10万ドルを取って去っていく。
感想

序盤が長かった。いちどは序盤が終わる前にダレてしまって観ずじまいだったこともある。話がカチっと噛み合って「おっ!」とやる気が出るのは、ブロンディが金貨の場所を知るところからで、そこからは別の映画のように面白くなる。

出番が少なくよくわからないエンジェルが一歩退いていて、この映画の主人公はトゥーコとブロンディということになるけど、話を追っていくとどんどんトゥーコが魅力的に見え、ブロンディがよくわからない人になる。

そもそも、画面に二度表示される、the good/the bad/the ugly とは何なのか? 自分なりの倫理観を持っていそうではありつつ、基本は非情な裏切り者であるブロンディが the good と説明されるのは何故なのか。

砂漠を歩かされて死にそうになって復活する、というのは、ブロンディにそういう(イエス・キリストってことです)役割が与えられているのだろう、と推測するけど、無教養ゆえそこから先がよくわからない。そして最後に「おめーはgoodなんかじゃねぇよ!」と、トゥーコがまさかのメタ言及。うーん……。

お互いが首根っこを押さえ合ったままもつれていく話として面白い。ラストの三すくみの決闘の演出は、やはり盛り上がる。

73点。

そういえば


Red Dead Redemption (2010, Xbox360)

もうなんか映画シミュレータの域に突入しとる。

もはや一部の日本のゲームは画面写真を見ただけで目が潰れる身体になってしまったおれだが、おっさんの和ゲーDIS→洋ゲー(日本で売られるような傑作大作の洋ゲー)礼賛現象は、経験の厚みや外へのポインタの数の多さを要求しているのであり、結局のところは、歳を取ると塩野七生司馬遼太郎を読み始めたりする病気と同じ根のものなのだろう。もっとまともな映画や文学に、こんご多少真面目に取り組もうとするなら、ポインタによる経験のショートカットは不可欠なのだから、この病気は死ぬまで治らないのだけど。

ゲームの話。技術的には、シームレスに会話やミニイベントが発生するのが見事。

酒場で酒を飲んでいると、表の方で女性の悲鳴が聞こえるのを、一瞬ためらってなんだなんだと外に出ると、女は男に刺された後で、テラスに死体が転がっている……というような経験がリアルタイムで可能。

あと数年待てば、複数の場所で起きたことがらが影響を与えあうようなゲーム(銃撃戦と、街を練り歩くパレードが、「干渉するかも知れないし、しないかも知れない」というアドホックなイベント処理が出来るようになる)ができるんだろう。しかしそのときそれはもう、ゲームとは呼べないかも知れない。

ゲームと呼ぼうがそうでなかろうが、少なくとも、こういう「触れる映画シミュレータ」は、おっさんにとっては、ビデオゲームの楽な収束のさせ方(終わらせ方)の一つであるだろう。

シミュレータで引き出される情感の厚みは、自分が持ってる引き出しの数に直結するのだから、ということで、代表的な西部劇映画をぼちぼち観ている。今は「ワイルド・バンチ」「許されざる者」を借りてる。映画の記憶が、シミュレータの提示する状況でありありと再生される……という楽しみ方をしながら、だんだん、コントローラを触らなくても、脳内で自分の映画を再生できるようになればいいなと思う。

やりだすと、ほかのことをしなくなるので、このゲームはしばらくやらない。

追記
  • 購入特典でダウンロードできるサントラがいい。というか、ゲーム内のBGMがすごくいい。
  • 西部劇っぽい音楽で盛り上がるのは、日本人が「必殺」を聴くとあがるようなもんだろうか(いや、「必殺」がマカロニウェスタンを参考にしてるんだろうけど)。