日記

夕方から「火曜日の会」。ショップ(http://gamefield.org/)の新作ご相伴会、兼、雑談会みたいなもの。この日は第0回といった体。

x.

この趣味を楽しむ人には「遊ぶけど買わない人」と「評価の定まったものを決め打ちで買う人」と「評価がよくわかんなくてもとりあえず買う人」というグループがあって、ショップが恒常的に利益を出していくには3番目の人が増えるしかない。しかし多くの「体験会」「ゲーム会」「その他ネット活動」では1と2の層にしかアピールしないという問題。そこにパイはあるのかも知れないが、そのパイが、今買ってるわたしらみたいな人たち(3の人)と直線的につながっているかといえば、それはどうかな、という。

もちろん「ドミニオン」みたいなヒットゲームを置けば、それは決め打ちでも売れるだろう。けど所詮、行き渡ってしまえば売れなくなる焼き畑なのだし、どこでも「ドミニオン」売ってるなんてのは面白くもない。「ドミニオン」ついでに一緒に何か買うという行動を喚起したり、この店でとにかく一度買って貰うという習慣づけのためにヒット商品を置く、ということそのものは、必要なことなのかも知れないが……。

ボードゲームという垂直方向へのアピールではなく「評価がよくわかんなくても買う」という購買行動そのものでクラスタを横断するような売り方が必要なのかも知れない。ジャケ買いのできる人に売る、みたいな。

世の中には、ボードゲームに限らず「自分の消費可能量以上にモノを買ってしまう」アホの子がいて、業界はそのアホの子のアホマージン(きれいな言葉では「未来への投機」とも言う)によって回っているのだろう。健康的とは呼べないがそれが実情。

「1か2のクラスタの人を3にする」のが難しいのであれば、「どこからか3のクラスタの人を見つけてくる」しかないのだろう。

「1や2の人を3にする」を具体的に言うと「情報によってアホマージンを作る」ことだし、その点私の周囲には圧倒的に情報が足りない。そりゃ、片手で数えるほどしかオープンサークルがない田舎と、探せば週にいくつもゲーム会を渡り歩ける東京とでは、そこで浴びる情報量も違う。店長の話を聞くと、買っていくのは主要都市圏の方(通販)が多いそうで、情報というのは単なる知識ではなく、直接購買行動につながっているよな、ということ。

言葉を換えると、たとえば田舎では「ミヒャエル・シャハトの1年ぶりの新作です!」というメッセージを打っても、ほとんど響かない。情報がないのは空気が薄いのと同じで、メッセージが勢いよく伝わるには相手と自分の間を情報が満たしている必要があるのだろう。

y.

拡げていうと「情報の不完全さを意識することが重要」という話か。「欲しい」の前に「何それもっと知りたい」がある。

たとえば、直接ショップのtwitterアカウントになんか質問してきたりする人というのは、一見すごく積極的で「3」のグループの人に見える。でも「ゲームに対する確かな情報が知りたい」という動機を持っているってのは、実は「2」の人=アホマージンの少ない人なのかも知れない。

映画や本の感想を「面白い? 納得した? どんな? 値段分もと取れた?」とか聞いて回る人が、本気でそのジャンル好きっていうふうには、あんまり思えないじゃないですか。(闇雲に買えばいいってことじゃないけど)

人が「欲しくなる」のは、もっと直感的に「うわっ、なにこれ?」と思ったときで、先に十分に説明を受けたときではないんじゃないか。たとえば、写真一枚見たときに引き起こされる謎な感じを、大事にしたほうがいいんじゃないか。情報というのは直観を正当化するための穴埋めに、事後的に使われるにすぎない。

謎な感じというのは……たとえば……こんなん。

http://gamefield.tumblr.com/post/3598263924/die-kleinen-zauber-lehrlinge

(これは「なにこれ?」感のために店長が作ったtumblrtumblrでフォローしたりフィード取ったりすると「なにこれ?」画像が流れてくるよ……!)

ショップがtumblr使うのは本当にナイスな発想だと思う(「見せる」のに特化していて、すぐ始められて、無料)。後はどうやってこの「なにこれ?」感をショップの利益に組み込めばいいんだろう、っていうことだけど……。

z.

なんか関係者っぽい書き方になったけど、いまのところ私は特にゲムフィーに利害関係はない。

ただ「知り合いがやってるショップすら、サステナブルになるように応援できないのに、ボドゲギョーカイが続くといいなぁ応援してますとか寝言だな」とは思う。

とはいえ、今の私はそんなに熱心にボードゲームを買う時期でもない。むしろ減らしたい。

だからこの件では、「買う以外の形で、自分に何かできるだろうか?」とたびたび考えた。たぶんそれは疑問の形がまちがっている。「自分でも誰でも気軽にコミットできる仕組みをどうやったら作れるだろうか?」というのがベターな疑問なんだろう。

w.

あれ、最初は一言だけ「さすがに映画と並行してボドゲを今までみたいにやるのは無理」と書こうと思ってたんだけど……。

追記/disclaimer

結構ブクマついてる。

これ以上読む人が増えると、誤解する人にもリーチしそうなので、言わずもがなのディスクレイマーとして書いておきますが、上の「1」「2」の人に無理に「3」になって欲しいとは言ってないです。

ただ「1」「2」から「3」へのパスが見えづらいんじゃないかと思うし、「3」にいる人が「まぁ、お好きなら買って遊んでみてください(にこにこ)」しか言えないのはちょっと淋しいでしょう、とは言いたい。

「3」の中ではそういう「にこにこ」とは別種の原理が働いていて(上の画像見たときの「うわ何ちょっとこの玉もった駒と魔術的なボードかわいいクソ欲しい」みたいな感じ)、「1」「2」にはそれが十分に伝わっていないのではないかな……と、思う。

これに似た寝言は g:brettspiel:id:mutronix にも書き散らして来ましたので、興味のあるかた(ぐだぐだ屁理屈をこねているの読んでも気分悪くならない人)は、そちらもご覧下さい。