トゥルー・グリット

コーエン兄弟、ジェフ・ブリッジズ、マット・デイモンジョシュ・ブローリン。はいはいそんなてんこ盛りにされなくても観ます観ます、ということで、郊外のシネコンまで遠出した。

「開拓時代の終わり」を意識させる作り。主人公のマティは、年老いた連邦保安官コグバーン(ジェフ・ブリッジズ)が証人審問を受けるところで、はじめてその顔を見るのだが、しゃべり方はフガフガしてるし、弁護士に対する切り返しも「現代的」でない。昔気質のコグバーンにとっては「襲われそうになったから撃ったんだよ文句あっか」というだけの話なのに、延々と被告人弁護士の小芝居を見せられる。確かに開拓時代は凄腕だったのかも知れないが、法が支配する時代にはとりのこされつつある男。そのことは、コグバーンの晩年が「ウェスタンショー」というもはや過去の遺物を再生するフィクションと共にあったことでも、示される。

マティは「正しい心と強い意志」の持ち主(「ファーゴ」の保安官的役回り)として描かれるのか、と思っていたが、そういう感じでもない。かといって「頭でっかちのはねっかえり」というわけでもない。ここのところが微妙で、面白い。目の前で簡単に起きる流血と殺戮にドン引きしながら、徐々に自分の意志の使い方を心得ていく。

シネマハスラーでも言っていたけど、「伝聞と体験」というのが大きなテーマかも知れない。わかりやすいのが「穴」のくだりで、前振りで「穴に気をつけろよ」と注意された後、実際にその穴を体験すると「うわっ、そういう意味だったのか…!」と、注意の意味が本当にわかる。これは冒頭に出てくる「見てもいないことをさも見てきたように語る」小芝居弁護士への批判にもなっている。ただその「体験」が唯一の真実だとは言ってない。あくまで自分の倫理観(原作には聖書への言及がたびたび出てくるみたいだけどまだ読みかけ)を軸に据えつつ、「でも、私は見た」と静かに言うだけ。そこにこの映画の倫理があると感じた。

マット・デイモンの芝居とかあんまり気にして観てないので、近場でやるならもっかい観たいけどなぁ…。

82点。

そろそろ西部劇史上最高最長のコンテンツ「レッド・デッド・リデンプション」を遊ぶ頃合いだが、もう少し名作を観て、地理やなにやらの感覚を把握しておきたい気分もある。そんなに予習が必要か? 西部劇テーマパークでのアンドロイドの反乱を扱った映画「ウェスト・ワールド」を観れば自明だ。自分の脇に黒シャツのユル・ブリンナーが立ってショットグラスで一杯やったときに盛り上がれるかどうかは、その人が「荒野の七人」を観たかどうかにかかっている。
それに、西部劇の時代が終わっても、いまや望むとき、いつもいつでもゲーム機の中で西部世界は再生されるのだから、プレイを慌てる必要はない。
いやでも、「予習」と「確認」という前後関係すら無用のものなら、RDRをすぐ始めてもどってことないのかも知れないな。「ウェスト・ワールド」でユル・ブリンナーに胸を打ち抜かれて死ぬジェームズ・ブローリンが、「トゥルー・グリット」でのジョシュ・ブローリンの死を、あらかじめ再生しているかのように。