日記

afternoon

感想(というか内容をリニアに出力して記憶を確認するだけだが)の書き方はわかってきたが、これをボードゲームでできるかという問題。

今の感想は「面白さを広めるため」ではなく、「これはこういうものだった」と自分に整理をつけて半ば埋葬するために書いてるわけだが、ボドゲはローコンテキストな遊びだから、ひととおり埋葬したら、そこから先につながるものがなく、そのまんま、はいさようなら、ということにもなりかねない(映画や小説と比較するとわかる)。ま、そのときはそのときだけど。

ところで「別に感想書いて人におすすめしてるわけじゃないんだよ」と言っても、会話の中ではなかなか理解してもらえないことが多いので、ちょっとまとめて書いてみる。

映画でも本でもそうだが、今の書き方で感想を書くとき、「ここで褒めたものをみんな観ろ、読め」とは、誰に対しても思っていない(指名で「この人にはおすすめかも」と思うことはあるが)。

私は私の問題として書くだけだ。見ず知らずの誰かが読むことを想定した場合、それはほとんど、「おすすめ」ではない。

しかし、誰かが読むことがあってもいいな、とは思っている。

言い方が難しいのだけれども、「人を教化するつもりは全くない。しかしながら、何かの拍子で人の目に触れるところには置いておきたい」と考えている。

書いたものは、ここにこれだけびっくりした人がいましたよ、という記録として残す置き石であって、感想を読んだ人に、私と同じ体験をしてびっくりしろ、とは思わない(キモいだろ、そんなの!)。

しかしそれでも、置き石に意味はある。他人の欲望した姿を見て、人はそれとの距離を測りながら、自分の欲望を形作るのだ。置き石が置いてあるということそれ自体が、人を励ますことがある。その書き手が信頼できるか、好みが合うか、という問題を全て無視しても、そこにはその人が誠実に欲望したという記録が残る。それには意味があると思う。

(まぁだから、ネット的な定型句しか使ってない感想は、その欲望の誠実さに疑いを挟みたくなるから、私は好きじゃないのだ)

それに、見ず知らずの人の書いた「おすすめ」なんて自分の必然性に交差しない限りまともに信じないんだから、基本的にはどーでもいいことでしょ。

google:おすすめ洋楽] [google:オチが衝撃的な映画] [google:読んでおいたほうがいい小説 ……Google社はこれらの検索結果で出てくる「まとめサイト」のページランクを下げるべきだとすら思う。はしたないから。

仮にそういう不特定の誰かからの「おすすめ」でいい出会いがあったとしても、それはもともとの欲望の形態として「今すぐヤれる子紹介して!」みたいなもんじゃなかったのかしらね(そんなん結果オーライではあるけど、いつもいつもそういう聞き方してたら、自分の欲望は形成できないよね、という話)。

人の書いたラブレターとか読んでニヤニヤしながら憧れたいじゃないですか。

afternoon 2

地震以降、別の習慣が身につくかと思ったが、なかなかそうもならない。淡々と古いものを守り、新しい習慣をインストールしていくだけなのだな。