ザ・ファイター

今月5本目。

役者と演出、絶妙のコントロールできれいに着地。すばらしい。

以下、ストーリーに触れます。

info

書き写すだけになるんでWikipediaへのリンクで。

wikipedia:ザ・ファイター_(2010年の映画)

story

notes

感想

  • 何が素晴らしいって、この「誰も完全な悪人にすることなく、最後の試合まで話を持って行って大団円にする手際」。大筋は想像つくのにいっさいダレのない話運びに、ほれぼれする。
    • ヤク中のチンピラの兄(ほんとしょうもない)も、息子に謝罪するときも「おぉお前そんなことを考えていたなんて」と言って息子を抱き寄せるけど本当はよく理解できてない自分勝手な母も、あと、お前ら仕事もせずに家で一日何やってんだよ!! とつっこみたくなる7人の姉も、それぞれにツッコまれる瞬間がありつつ、決定的な悪役にはならず、ラストの主人公のボクシングシーンへと流れ込んでいく。
    • 人物像が類型的になりそうになったら、それを回避するフォローのためのシーンを必ず入れるという、丁寧な演出が、話を面白くしているのだと思った。
      • たとえば、ディッキーが、家族の作ったケーキを持ったまま昔のヤク仲間のところに行き、迷った挙げ句ケーキを渡してそこを後にするシーン。それだけなら、説明的な「どっちがわに行ったか」という描写なのだが、ちゃんとその後に、「歩きながら腕についたケーキのクリームを舐める」というショットを入れて、彼が一人になる理由と後ろ支え(家族)の存在を思い出させる。
      • 家族から主人公を救い出す「いいもん」に描かれがちなシャーリーンも、完璧な人間などではなくて、ディッキーとの言い合いのシーンで、ちゃんと、その不完全な部分を指摘され、受け入れる、というフォローが入る。
    • 主人公のまわりには、さまざまなしがらみがあるのだが、実は、ラストのボクシングシーンは、それらに一旦すべて、映画的な落とし前がつけられた後始まる。あれは何も背負っていない、純粋な勝負の映像なのだ。「恋人」「家族」「兄」という重荷は、映画の中である程度決着がついている。それゆえ観客はミッキーの一挙手一投足に集中して、声を上げながら応援することができる。
    • そして(当然)最後に主人公は勝つ! やったーーー! わかってたけど! 実話をベースに脚色されてるとは思うけど! それでもみんなにいいところあったし、最高だ! そんな爽快感と共に映画が終わる。
  • 「そうなんだよ! 勝負してるときは、中国武術を軽蔑する悪いイギリス人なんてのはいないんだよ!」と、昨日の映画と比較せざるを得ない。
    • 実際、「思いを背負って誇りのために戦う」という意味では似た作りの箇所もある。「イップ・マン」では、死んだサモ・ハン・キンポーの思いを背負ってドニー・イェンの拳が炸裂する、という見せ場があるけど、この映画ではそれは、刑務所の中のディッキーと、試合に備えるミッキーのトレーニングシーンに相当する。しかしこっちのほうが断然泣ける…。
  • 最後に出てくる本人さん登場を見てびびるけど、クリスチャン・ベールのしゃべり方は完コピ。って単に歯が抜けてるだけか…。
  • クリスチャン・ベールメリッサ・レオはやはりこの映画になくてはならない。

以下、人物描写に厚みを持たせるため、巧妙だと思った演出を思いつくまま列挙。

  • ディッキーが覚醒剤ハウスから転げ落ちて、それを母一人で迎えるシーン。ディッキーは車の中で母を慰めるように歌を歌う。そしてその歌を聴いて母親は泣く。ここだけだと、ディッキーは母の好きな歌を歌って取り繕おうとしているように見えるけれど、ラストの試合の直前に、ディッキーはミッキーを鼓舞するように、もう一度歌う。ディッキーにとって「歌う」ということの意味がもっと重いものだということが示され、遡って、母に歌って聴かせた歌にも何か意味があることが示唆される。

86...は高すぎ? 84点。