SOMEWHERE

今月6本目かな?

ソフィア・コッポラ監督作を観るのは初めてかも。面白かった。

以下、ストーリーに触れます。

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story

ジョニー・マルコはハリウッドで成功した人気俳優。ホテルに住み、パーティーに出向いては女といちゃつく暮らしだが、ジョニー自身は退屈を隠せない。ナンパした女にクンニリングスをしながら寝てしまう。

たいした自覚もなく俳優をやっているので、若者にアドバイスを求められてもしどろもどろになってしまうのだが、周りはそんなジョニーにはおかまいなしに、ハリウッドスターである「ジョニー・マルコ」をまつりあげる。

別れた妻との間には11歳になる娘クレオがいて、時々会っている。聡明で美しく育ったクレオにも、次第にジョニーの知らない側面が生まれつつあり、ジョニーはクレオがスケートを習っていたことを3年間も知らない有様。

あるとき妻から電話があり、しばらく家を空けると告げられる。そして、二週間後のキャンプに間に合うように、クレアを連れて行ってほしいと頼まれる。一方的な言い分にジョニーは困惑するが、妻の口調から、彼女には休養が必要なことを感じ取り、そのまま娘をあずかる。娘と過ごす短い特別な日々がはじまった。

イタリアへの旅行で疲れてしまったり、女癖の悪さによる気まずい一幕があったりもするが、ジョニーは娘との日々を楽しく過ごす。

クレオのキャンプの日が来た。車に乗せて送る途中、クレオは泣き出してしまう。「お母さんがいつ帰るか私聞いてない、お父さんは忙しいし私どうしよう」ジョニーが感じるよりずっと重たく、クレオは孤独を感じていた。

その足でジョニーはラスベガスに向かい、娘と一緒にクラップスに興じる。ジョニーにできることはそれくらいしかなかった。

クレオを送り出し、またジョニーは一人の生活に戻るが、娘との生活で気づかされた自分の無意味さの前に途方に暮れていた。

ジョニーは自分で何かをすることを決意し、手始めに、自分で下手なスパゲッティを作って食ってみた。ジョニーはホテルを後にして何処かへ向かった。

note

  • ロサンゼルス、ハリウッドの地理
  • 最後に向かったのはどこなのか?
  • シングルマン」とは何だったのか(もう一回観たくなってきた!)

感想

  • 前半の長回しの「無意味感」が説得力もって効いてる。
    • たとえば特殊効果用の顔の型どりをするシーン。単純に飲んだくれの最低ヤローだっていうことを描きたいのなら、「ブエッ」って嘔吐して鼻の穴から吐瀉物を噴出させて、一回型どりを無駄にするじゃないですか。この映画では、そういうドラマチックな出来事が起きない。何も表だった問題が起きない。
    • 何か起きるようで何も起きない時間の経過を、長回しで丁寧に撮ってあるので、「あぁこの男って本当に無駄な時間だけで生きているんだな」と感じられる。
  • 「寂しいか、よし、じゃぁお父さんとラスベガスに行こう」とは出鱈目にもほどがあるが、自分が同じ立場なら、実際そういう選択しかできないんじゃないだろうか。
    • 世界というのはどうとでもなるもんだ、こうやってフラっとカジノで遊んでヘリコプターでタクシーのそばに乗り付けるようなことをしても、結果オーライ。君が思っているほど家族というのは強固なものじゃないよ。
    • まぁ確かに、「どうにでもなる」には「ただし、金が有れば」という留保は伴うが。

情けな映画としてとてもいいと思った。映像(無理のない色彩とか、特に)もよい。

たとえばジョニーの感じる情けなさ、というのは、私の日記の「diary」カテゴリの少なさにも繋がっているのだし、ときどき比喩で引き合いにだす「中国茶カフェでクイックジャパンテレビブロスに載ってそうな話題を無限に繰り返す女子たちの国」にもつながっている。

娘の楽しんでいる温度をちょっとだけ超えて、ギターヒーローRock Bandだっけ)を遊んでしまうジョニーの切なさに心当たりがある人は多いんじゃないかな…。「あれっ、これやったら一緒に楽しめると思ったんだけど…?」心当たりのあるなしでいえば、知り合った女の子をエロ映画に連れて行ってしまう「タクシードライバー」のトラヴィスを超えている。

子供といっしょにいつかボードゲームを遊べたら……、という夢を語る人は、知り合いにも多くいるのだけれど、その夢にいちど、この映画の「自分自身のままならなさ」「自分自身の情けなさ」をぶつけてみてもいいかも知れないっすね。皮肉でも何でもなく。

80点。