ブラック・スワン

7本目。

観た帰りしなに「シネマハスラー」聴いたので、感想はそれに引っ張られてるかも。

ひとこと感想:「バレエ映画としては<ケッ>だろうけど、主人公発狂映画としてはすごく面白いし、こわいだけじゃないカタルシスが得られると思うよ!」

83点。

以下、ストーリーに触れます。

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notes

類似のテーマを扱った映画をメモしておかないとだ。

シネマハスラーより:

感想

  • ナタリー・ポートマンとレズシーンを演じるのはミラ・クンニス…とは既に誰かが言ってるでしょうね! (すいません……観た映画二本続けてそんなシーンだったので……)
    • ミラ・キュニスは「口の中に拳が入る」動画でも有名らしい。youtubeで「blow job skill」ってコメントがついてた。すいません……
  • ここから映画の話。予告編を見ている限り「はいはい、まぁ怖いよねそういうの。楽しみじゃあるけど、でもなんだかなー」くらいのテンションだったのだけれども、最後の30分がきっちり撮ってあってすごくよかった。
  • 「主人公がおかしくなっていって、妄想と現実の区別がつかなくなる」だけであれば、それはどんどん頭おかしいショッキング描写を加えていけば済むし、そういう演出のシーンもある。
    • 部屋一面に貼られた顔がヒヒヒ……のくだりとか。
  • しかしどちらかというと、ショッキング描写は、全体的に「説明的」であるようにすら見える。
    • 部屋に貼られた顔のシーンは3回出てくる。一度前振りされたら「あぁ、主人公が発狂したらあの顔が絶対なんかなるよなー」と思うだろうから驚きも少ない。
    • そもそも顔がヒヒヒ……というのは程度問題でしかなくて、親が部屋に自分の顔を貼りまくっているという時点で、既にそれは始まっているのだ。
  • ニナという人物は初期状態からもうけっこう狂っていますよ、というのが、この映画のポイントになってるのかも。
    • アップや手ぶれを多用した一人称に近い映像も、それを物語っている。ドキュメンタリーチックな映像というより、「スポーツや芸事やってるひとの視野狭窄した感じ」を疑似体験させられる。
    • 大役に抜擢されてトイレで母親に電話して泣くシーンの顔がすごくいい。あぁこいつ最初から狂ってるわ、と一発で納得する顔。
    • だいたいなんでわざわざトイレで電話するんだ? というのも頭おかしいポイント。精神的に追い詰められてゲロを吐く場所で、抑圧の中心である母親に電話するという。
  • 狂っていることを最初からある程度見せてるんだから、日常が崩壊する恐ろしさを描いてみせるわけではないんだよな……どうするんだこれ……と思っているところに、あのラストになる。
  • ふつうの発狂映画では、終盤にさしかかるに従って、時間の感覚とか主客の感覚までワヤクチャになって、それこそレクイエムフォードリームの「冷蔵庫がバクバク動いてるわぁ怖い」みたいなのがクライマックスになるわけだけど、この映画の最後はそうじゃなく、時間を追って丁寧に「白鳥の湖」の一部始終を見せる。黒鳥の発狂描写もそんな強烈ではなく(予告で見せられてるせいもあるが)、むしろ美しさを感じるほど。
  • 現実が崩壊する様ではなく、発狂したニナが現実のタイムラインの中で自分を燃焼させていく様が描かれるんですね。
  • トマス(ヴァンサン・カッセル)が、本番前日「君は見事乗り越えた」と言うシーンがあって、ニナにはそれが全く信じられないのだけど、トマスの言っていることは、おためごかしではない偽らざる本音だと考えてみる。
    • その他の、ニナを取り巻く他者の振る舞いも、基本いい方に解釈していく(悪いことはすべてニナの妄想として片付ける)と、話そのものは実にふつう。シングルマザーの家庭に育ったニナは、プリマとしてのプレッシャーに精神的に追い詰められながらついに初日を迎え、大喝采の中舞台は幕を下ろしました、云々。
  • 客観的には(たとえば、トマスの視点では)、この話は「ふつうのスポ根」に見えているはずなのだ。情熱大陸とかでドキュメンタリーになってもいいくらいの。
  • 「主観的には発狂」「客観的には情熱大陸」この二つが、ラストの台詞で、完全に一つに合流する。「Perfect...」
    • そして画面がホワイトアウトし、私は客席に座ったまま「ニナ、ようやった!」と心の中でスタンディングオベーションした。こんなんで盛り上がってしまうなんて、この間の「ザ・ファイター」といい、おれは単なるおっさんなのか。
    • スポーツや芸事のガチさが好きな人は「ブラック・スワン」「ザ・ファイター」両方観るといいと思います。
  • バレエ映画として見るとたぶんチャラいんだろう(情熱大陸でももっとマニアックなところまで描くよね…!)。バレエ的なリアリティを補強して、スポ根サイドをもっと丁寧に描けば、この話の重層性が引き立って、ラストシーンは号泣ものになったかも。
  • ラストではニナは死んだと決まったわけじゃないよね? ……というのが、自分の解釈であり希望。なぜなら、「主観」にとらわれ続けるニナの姿は、私たちそのものだから。あそこでニナが完全に死んでしまっては、「才能を持った特別な一人の物語」になってしまうのであり、話に普遍性がない。

その他:

  • 逆関節って言うからてっきり自分で足をそんなふうに改造するのかと思ってたら、ふつうに幻覚シーンでした。あそこはちょっと浮いてないか…?