ヤコブへの手紙

story

感想

「ただ生きている」だけの自分に意味なんてあるのか? ということを、信仰を持つ男との対話を通じて描いた…話かな。

主人公は過ちで終身刑になるような罪を犯してしまい、仮出所することになるのだけれど、出所後住み込む牧師の信仰には全く興味を示さない。神も救いもないと思っているが、それで何をするわけでもない。罪は犯したが、かといって死ぬほどでもないから生きている。

それが後半、誰からも求められていないことを自覚した牧師の絶望を目の当たりにして、自らも自殺を試みる。何かを決意してそうしたというより、牧師の生き方を見て「この人がこんなに絶望するのなら、いったい私は何なのか?」と自問するように「ちょっと死んでみようとした」といった、軽いノリにみえた。

大事に分けて保管されていた「ヤコブへの手紙」から、主人公は自分にも赦しがあったことを知るが、そのときすでに、むにゃむにゃ……、とこのへんは王道。

確かに赦しはあったかも知れないが、それで救われたとは限らない、ということを予感させて映画は終わる。救いはないかも知れないが、ただそれについて生きて考える態度を、牧師は教えてくれた、ということなのだろう。

なにしろ、77分と短いのがいい。冒頭の気まずくもおかしい感じや、修羅場をくぐったことのありそうなやりとりなど、ふくらませそうなところはいくつもあるけれど、そこは流す。

一つ思ったのは、主人公は、世界とのコミュニケーションに失敗した故に犯罪者になってしまった、ということで(「お茶。」「裏に。」みたいな言葉遣いのぶっきらぼうさに、それは見て取れる)、この映画はそこに対する改善すらも主人公に与えてないな、ということ。普通は主人公のコミュニケーション態度がかわったり、第三者にちょっと流ちょうに話しかけたりできるようになる、といったくだりを入れるんじゃないか。郵便配達員との共謀が、改善といえば改善なのかも知れないけど。

映画的なサービス不足なのか、「そんなわかりやすい救いなんてねぇよ!」というメッセージなのか。

73点。