echo

モナーが海外のweblogで人気

先行者」が流行ったとき不愉快に感じたのは、ほとんどだれも、情報の一次ソースを追求せず、紹介した侍魂の記述がおもしろかった、というそれだけの理由で、共通の文化コード(ミーム)になってしまったことだった。

どこか(日本だから?)で捻れてしまうのか、それとも二つは本質的に同じものなのか。

現実を笑い飛ばしたい。でもみんな、自分の「笑い」の感覚が正しいのか心配なのだ。笑うときはみんなと一緒に笑いたい。

画一化された価値観から逃げ出す真摯さは、容易に、もう一つの画一化された価値観になりうる。情報のソースが失われたとき、「ぼくたち同じセンスだよね」という確認の、無意味なエコーだけが反響する。

blogはジャーナリズムとしてニュースソースを重視するから真摯なのだ、と結論するのは、安直なのだろうけど、「先行者」を嗤っていたぼくたちと、「モナー」のオリジンを探そうとするブロガーの間にある距離のことは意識してよいと思う。

間違えた

もとよりなにごとかについて深く考えたことなどなく、手元に飛んできた球を直観でそれらしい方向に打ち返しているだけで、それがたまたまいいコースに入ったりすると、あっオレもなかなかやるじゃんなどと論理を磨く努力を怠りつづけて生きているぼくですが、昨日の話題も、たまたま見つけたURLを返球しただけで、軽薄すぎたのではないかと、若干反省しております。

だいたいみんな、似たようなサイトを似たようなアンテナで巡回して、自分の日記を書いて、触発し合っているのだから、話題の原因と結果など不分明なのであって、一つのテーマの話題が同時にあちこちで発生することなどよくあることで、それらの中に通底するものを見いだしてそれらを接続してまわるというのは、端から見れば、もともとひとまとまりになっていたものを右手と左手に分けて持って「おお、同じだ」とわざとらしくびっくりしているようなものなのかもしれない。その程度のことを自分の発見であるかのように考えてしまうのは、危険なので、気を付けようと思いました(やめるわけではない)。

で、昨日の話題はむしろこちらに接続するべきでした。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/200305c.html#30_t1

なんだか、感心されると面はゆい。そうならないように、根拠のある言葉を並べろということなのだけど。

解析ページからのリファラに気づく。ページにアクセスカウンタって結構普通に使われているので、なまじ会社から日記を書いてリンクをクリックしたりしないようにしようと思った。