10年

夕方、ちょっとNHKをつけたら、震災10年の番組に高村薫が出ていて、イライラしながら「そんな対策してもねぇ…」と、いろんなことに文句を言っていた。

なんとなく同じようなことを感じていた。「んなこと言ったって、犠牲者が減るように、やるしかないでしょ」という正論の前には、この感じなんてさっさと吹き飛んでいいものだけど。

去年、水害にあった地域があって(どこだったかは、忘れた)、その報道映像で、床上浸水寸前の老夫婦の家が映し出されていた。老夫婦の家は、昔ながらの土間の広いつくりの家で、そこにドラム缶が置かれていた。

玄関にドラム缶がある家。そういう家から順番に水に浸かるし、壊れるのだ。その確率を飲み込んで、見ないふりをして、彼らも私も生きている。そこに、いきなりやってきて、「この家は壊れますよ」と、言うことは、とても残酷だ。確率的な問題でしかなかったものが、その人にとって、解決すべき目前の問題になってしまう。…仕方ないけど…。

行政のサービスによって全体の被災者犠牲者の発生する確率が下がっても、その分布は、いっこう変わらないかも知れない。何かを底上げする、という発想より、数値目標を設定して、それを満たしていない、低い値の箇所から目標値に上げていくやりかたをすべきなのだろうか。

その「ら」には僕とかも入ってるんでしょうか

まぁ高飛車、というか、「わかってない」(と自分が思う)架空の人に対して説明するのを動機にしていろいろ書いてる、というのは、自覚してますけど…

ただ書くとき、その場の多数決や運営者の意志決定に影響を及ぼすようにやってる、というよりは、自分のメモに近いです。日記はログが残るんで、どういう筋道で自分がそういうことを考えたかということを、未来の自分、あるいはなんかでたまたま自分の記述を見つけた人に読んで欲しいです。それで「あぁそういうこともあるかもな」と思っていただければ、それで。

それ以上のこと、たとえばなんか「パワーユーザ」か「キーワード問題の権威」か、しらんけど、そういうものになって、リアルタイムで誰かを誘導しようとか、そういうことは考えてないですね−。人を完全に説得できるような広い視野も即応性もないし。

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虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

『博士の愛した数式』って、そういう本だったんですか。架空の理屈についてあれこれこねまわす学者が出てくる本かと思ってパスしてたのですが…。虚数の情緒はもちろん未読…。