反省その2

それからなぜ「さもしい」でなく「疚しい」なのかというと、それは自分の心情を含んでいるからそう書いたのだと思います。そう考えると、これも不適切でした。「私は疚しい」ことを、あたかも一般的に書くのは、言葉づかいとして変でした。


よって、テレビゲームをするというのは、テーマを云々する以前の問題として、本質的に、結果の待てない「子供」のやる疚しい行為だと思います。

これを、疚しいという言葉を使わず、文末「だと思われているのかも知れません」などと書けばよかったのでしょうが、人ごとのように書くことに抵抗があったので、文末が捻れて、自分のこととして書いた、のだと思います。