なぜ疚しいのか


短期的な快楽を求める奴は良心や倫理にもとるといふことか。

これは本質的な問題だと思うし、なぜ自分が「疚しい」と思っているのか、掘り下げる端緒になると思うのですが、これ以上は話が大きくなりそうで、今のぼくの能力では言語化できません。中途半端に投げ出してすいませんけど。

しかし、現象として、倫理的にそれがよろしくないというように、思う人はいるかもしれなくて、そういう価値観をここで「大人」と呼びました。で、行為と結果の待ち時間をだんだん伸ばすことで「大人」になっていく、そのような成長のしかたが、期待されているのかもしれない。

それが正しいかどうかは別ですし、ぼくは「大人」であるべきだ、とも「子供」がダメだ、とも言っていません。(個人的な「疚しさ」が混入してそういう読まれ方をする文になったことは否定しません)

「ゲームばっかりやってるんじゃない」という言い方は、この「大人」的な価値観に基づいて言われるものであり、それに対して、「ゲームにも大人の鑑賞に堪えるものがある」という反論や擁護は、論点がずれていると感じているのです。

ゲーム脳」みたいな頓珍漢な話が入り込む(おもに、科学的にトンデモであるという見方からしか反論できない)のも、そのずれている隙間なのではないかと。