以下戯言あるいは「ゲーム脳の恐怖の恐怖」

それと、繰り返し書きますが、アナログゲームとテレビゲームの違いを強調するつもりはありません。今回こだわっていた「行為と結果の間の時間の短さ(A)」に関していえば、それは程度の問題であり、何ゲームであっても同じ穴の狢だとは思っています。

では、なんでテレビゲームの話をしてしまうかというと、テレビゲームの中に、(A)が極端な形で現れることがあるからで、要するにテレビゲームに眉をひそめる人の価値観というのを、(A)に対する拒否反応に言い換えて、一般化できるのではないのか、と、仮定したわけです。

この(A)が、特定のアクションゲームについてのことを言っているような書き方で、反発を買ったのだと思いますが、そこまで話を限定していたわけではなくて、ゲームに本質的な、インターフェースそのものの与える快、があるのではないか、という、ことを考えてました。これも仮定です。

一方でここに、『ゲーム脳の恐怖』のような本があるていど受け入れられてしまうという、現実がある。ぼくはあの本を科学的にトンデモだという観点からだけで、切って捨ておくということはできない。仮に科学的な論証手続きが正しければ、それで皆あの本の主張を認めるのか、という疑問を、前から持っています。

http://www.tv-game.com/column/clbr05/index.htm

なぜああいう本が受け入れられてしまうのか、という土壌が問題にされるべきなのであって、『ゲーム脳』で言われているβ波がどうこうという話*1は、その土壌の持っているもやもやした気分に、もっともらしい説明をつけているだけにすぎない。さらに、この土壌は、テレビゲームを排斥したいだけではないのかも知れない。

ゲーム脳』に対し、テレビゲームのコアユーザ以外の多くの人が反発した理由もこのあたりにあると思います。自分の趣味が、「おまえのやってることは**脳になるぞ!」と締め上げられるかも知れない、という不安があるわけです。いくら、科学的に間違っていても、信じている人が有る数以上いるのであれば、その人達にとって事実になってしまう。

ここにたとえば、土壌そのものを説明できる理屈があれば、そういう不安(これが、「疚しさ」かな?)が解消できるのではないかと思います。

ここで理屈として仮定した(A)は、ぼくの単なる思いつきですので、別に他の説明(B)でも(C)でも構わないのです。ただ、そこに目を向けたいということで。

要は「**ばっかしてたら馬鹿になるよ」という世間知に「**にもいいところはあるって!」という言い方ではなく「なんでそう思うわけ? 馬鹿になるって何?」と、根っこの部分で反発したいなと思ってるのです。

あーもちろん、以上は、先日の日記は「こういうつもりで書いていたので、真意を読みとって欲しかった」ということじゃないです。辿っていくと上のようになる、という話で。先日分の書き方が拙かったのは全面的に認めますです。

*1:読んだことないけど。