まとめ

まとまらないけど…。

非エンターテイメントである「文学」について、それが語っていることに関する共通の了解や概念は成立しえない=「解釈は人それぞれ」だから、個人は自分の内的な動機との間で「文学」と関係していくしかないのか。

あるいは、「学」としてすでに確立された概念を、専門に勉強するしかないのか。

学校の先生がもし、「文学」を読むことに、趣味以上の何か普遍性を信じているのなら、なぜその普遍性の入り口を、教えてくれなかったのか。

ひょっとして学校の先生は、エンターテイメントと文学を同じ「面白い」で片づけようとしているから、概念化することを教えてくれないのではないか。

そういう疑問ですね…。だから、先生が趣味で読む本が気になったのだと思います。