ぼくの先生

話のもとになった、ぼくの国語の先生、つまりぼくが3年間(そういえばあの先生にまるまる習ったのか…)習った先生について、覚えていることを書いておこう。

先生は訥弁な人で、すきっ歯でどもり癖があった。そして本人もそのことを気にしていて、現国の1時間目の自己紹介のとき、「わたしは***と言うのですが、わたしは発声がわるく、加えて自分の名前のなかに<ジ>などという極めて発音しにくい音があり、初対面から損をするのです。どうぞお手柔らかに」などといきなり逃げ腰なのだった。誠実な人だとは思ったし、そんなに悪い印象ではなかったが、好きにもならなかった。

ぼくは新聞部だった。つまり、本をろくに読みもしないで屁理屈をこね回すのは今よりずっとひどかったということだが、先生はなぜかぼくをよく当てた。「じゃ、次をはい、論説委員」それは僕がまったく事実に取材せずに思いつきを書き殴るだけの人間だということへの、あてつけに思えた。腹は立たなかったが不可解だった。この人はオレにどうしてほしいのか。

ひょっとして何か、自分には特殊な文才があって、先生はそれに目をかけているのか、と思い込み、毎年夏の作文では適当度全開のものを書いて提出したが、校内誌には乗らなかった。これは単に自分を2%くらいしか客観視できなかったせいかもしれない。作文になっていなかった。

高3の11月ごろのこと。ほとんど誰も現国の授業をまじめには聞いていなかったが、みな教科書は広げていた。チャイムの鳴り際に先生は早口で言った。「えーとあの、もう、皆さん試験準備が忙しいでしょうから、教科書はこれでだいたい終わりますが、一つだけ、この巻末に付録として載ってる<こころ>、これは読んでみてください。お願いします。これは抄録なのでよければ、全編通して読んでみてください」

角川の教科書の最後に、『こころ』が、「先生」の手紙の部分だけ、抜粋して収録されてあった。まわりに本を読む人はいたので、その影響、というか見栄で、漱石の『こころ』は2年のころに読んでいた。がぼくは自分を客観視できないので、そこに書かれていることの何が自分に関係があるのか、よくわからなかった。感受性の強い先輩はぼくが2年の冬、部室にうずくまって(しかしその先輩は新聞部ではなかった。まぁそのような部室だったということだ)、「あんなつらい小説はない」と青い顔をして言っていた。

先輩と同じように『こころ』が、目の前の先生にとって重要な小説だということは、とてもよくわかった。でもどうして、そのようなことを、先生は、こんな押し迫った時期の、授業の、チャイムの鳴っているときに言うのだろう。誰に、言っているのだろう。友人として、言っているのだろうか、それとも、教師として言っているのだろうか。

さんざっぱら「『こころ』は衝撃的だったー」などの、人の感想を聞かされて、ぼくははっきりいってそういうのに飽きていて、『こころ』がいまさらどうだ、と言われてもどうも思わなかった。「先生」という人は確かに情けない人で、その情けなさにおいて共感できるとは思ったけれど、他の人が感じたような身を切られるような感覚はなかったよ、ごめんなさいね先生。そう思った。

ひょっとして、あの小説を読んで大して心を動かされなかったということは、自分には何か欠陥があるのではないか、そうも思った。先生は、ぼくが読んでいるだろうことを知っていて、何も感じなかったぼくを責めているのではないか、そのようなおかしな考えもした。

先生が、何を伝えたかったのか、どうしたかったのか、今もってわからない。読めば、書いてあるだろうか? みんなに、わかるように? でもどうして先生は、言葉でそれを説明しなかったのだろうか?

そういえば…今…本当に今、突然、先生がぼくに「君にはぜひ読んでほしい」と言って、くれた本のことを思い出した。大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』だ。それも…意味が分からなかった(本当に唐突にくれたのだ)。

読んだだろうか?

読んだような覚えはある。

正直、書きながら、先生に会いたくなるとは思ってなかった。