わたしは常にわたしの認識が変わる可能性を否定しない。しかしながら、変わることを前提にしてしまうと、あとあとわたしの認識が変化するかも知れないという期待に寄りかかってしまい、語れるものが語れなくなってしまうような気もする。わたしにとって重要なのは、常にわたしの言葉が変わる可能性を信じて読みを続けるということよりも、そのときのわたしの言葉で何をどこまで語ることができるかということだと思う。

そのような意味で、わたしはときどき虚偽の感想や架空の書評を書くかも知れない。