コメントに応答

長くなったのでこっちに書きます

うーん、特に反論することはない…その通りだと思います。以下補足。

該当キーワードに、教えようとしてる人への知識へのポインタをきちんと示す、とか。やることといったら、最初はそれくらいでもいいのではないでしょうか。

じゃぁ後は、なにをグダグダ書いているのかというと、教える教わるということに対する認識のことを、問題にしている。

正典みたいな知識があって、その内容を全部「啓蒙」しようとすると、「初心者」vs「上級者」の二極化→「間違ってる奴」vs「原理主義者」のたたかいになりがちなのではないかと思ってます。

で「教えて偉い人!」というのは、そういうことじゃなくて、自分より「相対的に偉い人」が、その場その場で、ちょこちょこっと、なんか教えてくれる、それでいいじゃんか、という発想だと、ぼくは解釈してます。

偉いという言葉は確かに一人歩きしそうでちょっとアレだけど。(でもみんなもう、ウゴウゴ・ルーガのことなんて忘れちゃったのかしら…)

教えるという行為が、あちこちで、ばらばらに発生する。それでいいのではないか。正しい知識のポインタはもちろん明文化したほうがいい(それは「知識の正しさ」の範疇)し、今回の「教えて?D」は最初その用意が乏しくて慌てた*1わけだけど、それさえ用意すれば案外うまくまわるのではないか。

教えるという行為をローカルなものにする…うまく言えないけど、これが自分の中では大事だと、自分で書いて気付きました。

無私のこころで教えてまわる人は少ないし、「こういう日本語書く奴とはお近づきになりたくない」「この人の日記に何かコメントするのはおそれ多い」みたいな感情は結構ありますよね。

そういう心的な距離はそのままにして、「まぁオレはこの人の日記にはコメントしたくないけど、誰かこの人近辺の偉い人が教えてくれるでしょ」「この人の日記けっこう好きだからがんばってみよう」みたいなことができる、というのが大事だと思います。


あと、今調べたらルーガちゃん(小出由華さん)は今年19歳だそうです…

*1:なんて…勝手に評価してすいません…