書きながらさらに思ったこと

ネタに乏しいこの日記の中で何度も言っているが「性善説」という言葉はオレ内部日本語評議会ではかなりNGワードで、それを使って「あなたは性善説だからねぇ」なんて言ってる人を見ただけで感情のメーターがちょっと怒り方向に動いたりして、それはなぜかというと、一昨日も書いたけどもその「性善説」という概念がほとんど何の実体を含んでおらず、単純に「あなたと私は違うのだ」ということを言うためだけに、もったい付けた言葉をつけて線引きをしようという、そういう卑しさを勝手に感じ取ってしまうからなのである。

類語に「大人」「社会人」「マナー」「ネチケット」など。勿論使い方による。

話をもどして「性善説」だけど、これを下に書いたように「システムの中に人間の心的距離やコミュニケーション欲のようなものを取り入れ、各成員がそのような心的欲求に従うことでシステムをうまくまわすこと」と、勝手に再定義してみよう。

こんど人から「あなた性善説だね」と言われたら、腹の中でいろいろと思わず、そういうふうにほめられているのだと喜ぶようにしようと思った。

オレが今後そのようなお褒めの言葉を賜るかどうかはわからない。