キーワードとは何か
(ちびちび手直し中)
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20040325#1080202520
ぼくはキーワードはWikipediaのようなものであってほしい(そうであった方が運用上好ましい)と思っているので賛成。賛成だが、それがルールとなってしまうことには躊躇する。
言い方が難しいのだけれど、「キーワードとはこういうものです」という定義をするとき、ルールとは別のレイヤで百科辞典的な知識のノードの集合を理想に置いて欲しいと思っている。逐語的・辞書的説明のキーワードが即刻削除されなければならないとは思わない。
そもそもなぜ、百科事典的であってほしいか。これは、理念の問題であるとか、「ためになる」といった話ではなく、あくまで運用上の問題。現状のキーワードに関連する問題の多くは、キーワードを立てるコストがあまりにも安価すぎることによると、ぼくは思う。
せめて、あるキーワードを登録するからには、読み甲斐のあるもの・情報内容のあるものにしてほしい。そのつもりで立ててほしい。人にそれを強要することはできないが、そうあってほしいという、方向性がはっきりすれば、キーワードまわりのトラブルは減ると思う。
これは「一見さんがちょっと試しに立てたキーワードはトラブルの種になる可能性が高い」という経験則に基づいている。誰でもキーワードを立ててよい、という理念に反しているから、あまりいい発想ではないかもしれない。しかし、システムとして誰でもキーワードを立てられる、ということと、何でも書いていいわけではない、ということは矛盾しない。このレイヤの違う二つの言い分を「名詞」ルールのようなもので調停しようとしたことに、問題があったのではないか。
現在アンケートがとられているが、「百科事典的キーワード」はルールではなく、ガイドラインのようなものとして提示して、キーワード内の記述の不十分さによって、削除などの措置がとられないようにして欲しい。
これは言い逃れではなく、逐語的・辞書的説明のキーワードであっても、誰かが(これ重要)そのキーワードを編集して記述を付け加えていく可能性があるから。だから、すでにあるものを「削除」する必要はない。
要するに、あまりに安直なキーワードに対して「はぁ?」と言える空気ができれば、それでいいのだと思う。書きゃいいってもんじゃないだろよ、という圧力が働いてほしい。「はぁ?」と言われた作成者がキーワードに対して義務を負う必要はない。もっと詳しい人がそのキーワードをよりよいものにしてくれるかも知れない。
もちろん(ええ、もちろんですね)、安直な意図のキーワードに、もってまわった百科事典的説明を加えて価値を高めたがる、という人も、いると思うけど、それはいっこうにやってもらって構わないのであって、きちんと労力が割かれたキーワードであれば、動機がどのようなものであれ納得する人もいるだろうし、そういう方向にエネルギーが使われれば、名詞かどうか、などといった些事で消耗する機会も減るのではないか。
切り捨てた要素(メモ)
以下のことがらについてはすべて解決されていることが前提。