あと
(意識的に)忘れてましたが、id:gliffさんから先日「プライベートモードに移行したので連絡は日記にid書いてほしい」「表に見える行動は避けているが後でお返事します」といった内容のコメントを(コメント書いてすぐ消すという方法で)いただきました。
なんかいろいろ大変そうですけど…。「表に見える行動は避ける」って、「ほとぼりがさめるまで待つ」っていうことでしょうか。以下、そういうふうに解釈して書きます。違ってたらごめんください(gliffさんに対して言っているというより、自分の考えの整理でもあります)。
まず前提として、ネットに上げてる日記は常にログとして「残っている」と考える。これはいいですね。
ネットに日記を上げていろいろ言ったり、人の日記のコメント欄にいろいろ書いたり、キーワードを編集したりすることを、「ほとぼりがさめる」程度のものだと思っているのであれば、それは根本的に、認識を改めたほうがいいのでは、と思います。
「ほとぼりがさめる」というのは、結局、gliffさんのパーソナリティに関して否定的な評価が薄れるのを待つ、というふうに言い換えられます。しかしそれが、「薄れる」ということは、ありえないのではないですか。
これ一般論なので主語を「わたし」にして書くと
ひとがわたしに関心を持っているのは、わたしが書いたこと、やったことに対してであって、どういう人だから好き嫌い、などといったことは、個人的な感想にすぎない。そしてその「感想」というのは、常にわたしが書いたこと、やったことから、常に新しく生まれえるのです。
たとえば、次のような人たちがいるとします。
- a)数ヶ月前からgliffさんを「ヲチ」していて、反感を持っている人
- b)今日はじめてgliffさんを知って、その言動を各所の記録で読んで反感を持った人
gliffさんはa)の人に対して「時間が経てば、ほとぼりがさめる」と思っているのかも知れませんが、常にb)という人がいる可能性があるわけです。そして、ネットではすべてがログという形で残ります*1ので、a)とb)は全く同じです。b)の人に対して、説明になるようなものが残っていない限り、「ほとぼりがさめる」ようなことは、絶対にありません。
それに…時間が経っても、引っ張ってくる人はいくらでも過去の発言や行動を引っ張ってくるでしょう。
*1:gliffさんは、たいへん頻繁に、自分の書いたことを消されるようですが、これは、この前提を覆すという意味で、非難の対象になりうるので、注意したほうがいいかもしれないです。