「撤退サポート」

上項の補足。

僕は、別にはてなからの移行を後押ししてるのではありません。そもそもそのような個人の単なるメモツールとして使うのであれば、ローカルマシンの上でやってもいいのじゃないか、という、提案みたいなものです。

というか、公開日記をメモ的に使うのって、どこからでも更新できるというメリットはあるけど、書いているうちに考え方は変わるだろうし、生煮えのまんま書いて放り出してしまうものもあるかもしれないし、そんなものをリファラから辿られるのは「恥ずかしい」し、で、まともに書けたためしがない。

「ブログ的」な日記というのがあって、それは、ペタペタとニュース記事を、メモ帳がわりに貼り付けて、何か気の利いたコメントを残すものだと、まことしやかに言われていたことがある(今も、いわれてる?)。

ぼくは、いい加減な人間なので、そんなふうに自分が一つの関数になって外界を処理できれば、仕事もできるようになるのだろうなぁ、なんて、うらやましく思う。

生煮えの考えを書き残すこと。なんか外に対して言うこと。見てほしいものもある。あんまり見てほしくないものもある。見て欲しくないものは、ローカルに日記を書いてもいいんじゃないか…自分が書いているこれは…日記に書いて、見られても、恥ずかしくはないだろうか…。そういうことばかり、考える。

うまくいえないけども、この「恥ずかしい」と、日記を書くことの間の揺れについて、最近ぼんやり考えている。僕が「はてな」をやめないのは、そのような「恥ずかしさ」と向き合って、書くことと自意識に対して誠実な、信頼できる書き手に、「はてなダイアリー」で知り合うことができたし、その人たちと交流できるからなのかもしれないです。

追記

「すくなくとも僕にとっては、web日記というのは…URLを貼って、気の利いたコメントを書いて、何か問題が起きたら、いかにも自分がはじめから何かを知っていたかのように、恥もためらいもなく何かを書くような…便利なものではないんです…」

と、いう内容のことを誰かに対して付け加えて言いたい気に、ちょっとなったが、それが誰かはわからない。