それで思ったのだけど

id:nobodyさんのその日の記述から辿って読んだid:knorimotoさんの

はてな住所登録問題に端を発した激震で、頭がすっかりそっちの方向に行ってしまい、他のことが書けなくなってしまいました。

というのがなんとなく、いまの自分にはわかる。あとnobodyさんが混乱してるのもなんかわかる。わかると言っても、気持ちがわかる、というんじゃなくて、そういう気分になってしまうという風向きがわかる、みたいな感じだ。

要するに、みんながいろんなことを言っていて、それに耳を傾けようと(あるいは、やりこめようと)読んでいると、自分がなにをしていいのかどんどんわからなくなっていくのだ。自分の立場をはっきりさせようとしているつもりだったのが、いつのまにか、自分がやりこめられないためにあらゆる議論のパターンを覚えようとしているようなヤーな気持ちになっていく。

まぁこれは僕に「読む」能力が欠けているせいなのかもしれないけど。

なにかが起きる。みんながいろんなことを言い出す。誰かが「まとめwiki」をつくる。そこで情報が均される。それが公知のものとなり、それ以降、そのことを知らないことが「恥ずかしい」ことになってしまう。

最近の話だと、人狼BBSについて「まとめwiki」ができたとき、便利だなと思う一方で、「またかよ、もううんざりだよ」と思った正直。なにこれ、ここに書いてあること全部読むの。で、全部読んだもん同士の符丁で会話して、それ知らない人には「空気嫁」とか言うわけ。

本当は、作業してくれる人がいて、作業レベルではその人には感謝するし、載ってる情報も有益だと思うんだけど、最終的に「まとめwiki」でできたページを見ると、匿名で「みんなこれ知ってますよ」と言っているように思えてきて、なんでか、気分が悪くなってしまう。

耳を塞ぐ技術というか、知らなくても恥ずかしくないと考えて決断する勇気が必要なんだろうなと思う(だから現時点で住所登録に関して何かコメントしている人を等しく尊敬する)。開き直りではなく、その時自分に言えることを、筋道だてて言う、ということしかできないのだろう。

そのような自由を人から奪っているという意味で、たとえば「結局法律とその解釈の問題だろ、勉強しろよな」とかなんとか、でかい声で言いたがりな人の声は、すごく他人に対して抑圧的になってしまうんじゃないだろうか、と思う。(控えめにいって、だ)。

あぁ…まとまらない。まぁ、今日は*1素でいいや。

*1: