勝ち負けではなくスタイルが問題だ

昨日のメモ。

多数決のプロセスも結果も尊重するが、その意見の根拠が十分に検討されないものだったとき、「負け」た意見を持っていた人は、自分の意見ではなく自分の感覚が<否定された>、と思うかも知れない。その先は「結果が気に入らない者は去れ」だろうか? 「結果が気に入らなくても、自分の感覚と切り離すことのできる」能力、プロレスする能力が必要なのであって、僕は誰にも去ってほしくなどない。「撤退」とはずいぶんと綺麗な言葉だが、それはそのときまで書いたテキストの自分を「消す」ということだ。なぜそこまで自分(日記人格、という意味での、自分)に近いところで議論するのか? 意志決定に関係ないところでとぐろを巻くなんて、ふざけてるかもしれないが、ふざけてることだって、「撤退」しないためには重要なのだ。