フェア、とかいうことについて

喫煙やゲーム脳の話題に関して僕は初期設定から見解がほとんど変わっておらず:
「実際これらは害悪だとは思うが、自分が煙い、子供にゲームをさせたくない、ということに関して、個人の心情をとびこえて、科学的根拠とやらによりかかるのは、おかしい」
ということなのだけど…
健康被害を根拠に「やめてくれ」ということ自体については、それほどおかしいとは思っておらず、なんで自分が煙いとかいうことに関してまで、ある種オールマイティな健康被害の話を持ち出すのか、ということに対して、興味というか違和感がある)

でも、「けむいです」ということば自体、今までオフィスや公共の場所で言えなかった、という事実はあるわけで、それに対して、レイヤが異なっても「受動喫煙」やらいう言葉で、自分の権利を主張できるようになるのであれば、それは抵抗の手段としては「あり」とみなしてよく、アンフェアと呼ぶのは厳しすぎるのではないか(レイヤをとびこえていると、自分で理解して敢えて使っているかぎりは)。そういうふうに考えがちょっと変わった。

書こうとしてやめたこと

「受動ボードゲーム被害」と銘打って、執拗に周囲の人間をボードゲームに誘うマニアによって、自分の人生の時間を無駄にされた! という、釣りエントリ。文体は、喫煙による健康被害を訴える人のものをパクる。

誰に対しての釣りなのかわからなくなって、火事になりそうなので、やめます。

書いているが、理解されていないかもしれないこと

日記世界では、自己責任ならOKだとか、煙吸ったら吐くな、とかいう潔癖な論法を、現実世界より目にすることが多い気がするのはなぜか(わたしの生活のバランスがそうなっている、という指摘はさておいて)。

悪いものは悪いものとして、自分のなかに許容するような態度を、書いたものの世界でとりづらいのは、なぜだろうか。

えーと、飛躍すると、これはパーマリンクによる抑圧である*1

チャート式思考実験の種

以下の15種類の煙草があると考える。

no. 喫煙者が煙い 喫煙者の健康被害 周囲が煙い 周囲の健康被害 議論
15 通常のたばこ話
14
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2 迷惑ばなし
1 健康兵器

たとえば、それぞれの箇所で起きる議論について、できるだけ少ないパラメータで、そのパラメータの大小のコントロールだけで、通じる理屈はあるか、ということ。
たとえば、嫌煙者が15の認識で議論したがってるのに、喫煙を擁護する論調の人が、いや事実は14なんです、と言い返してるだけの理屈は、汎用性に乏しいと指摘されるかも知れない。

*1:断片部g:fragments)では皆様の参加をお待ちしております