困難な問題を迂回して環境改変を希望するのは一見よい解決案だが、個人のレベルでは自由の放棄かもしれない

a.

ある環境が「荒れる」場合、荒らした人を環境内で干したり、荒れるそもそもの原因を絶ってなかったことにするのは好みではなく、最大限権利が行使できる状態で「荒れ」にくくなるように環境改変するべきだ、という主張を、わたしは持っている。

でも、それが「自分で考えなくていいようにする」、ということとどう違うのかわからなくなってきた。

b.

知り合いの優秀なゲーマーのことを思い出した。プレイはもちろん上手だし、ゲームのルールの解釈も上手(初見のゲームでもロジカルなものはだいたい勝つ)だ。かれは、自分で簡単なゲームをデザインしたりもする。それも、遊びながらうまく機能しないと、その場でどんどんルールをいじってバランス調整してしまう。

あぁ、そういう褒め殺しをしたいのではなかった。優秀なゲーマーであるかれの作るものは「自分で考えさせる」ゲームだ、ということを言いたいのだ。

たとえば、「これを取ったら+2点だけど、取るためには、−1点されるかもしれない。リスクを負わなければならない」というバランス調整が先にある。それら、いくつかのバランスの持つジレンマを掛け合わせた総体が、かれのつくるゲームになっている。

c.

かれのつくるゲームのルールを聞いていると(たいていアルコールが入っているせいもあるが)、把握できずに眠くなってくることがある。

個別のジレンマの持たせかたは筋が通っているので頷いているのだが、で…結局何がポイントなのだろう、というときに、わからなくなってしまう。

優秀な人の脳内では、五元くらいのルールのかけ算が把握できているのが、凡人であるわたしには、その一部、二つか三つしか、同時に理解できない、ということなんだと思う。

ルールが難しいのではないのだけど。

d.

かれの思いついたゲームを遊ぶと、道の端っこにドブ川が流れていて、そこになんの柵もしてない、ような状態のなかに放り出されるような感覚が、ちょっとだけ、ある。

うっかりしていてドブに落ちたらどうするんだ、と思うのだが、「勝利条件を考えたらドブに落ちるような行動はしない」のだ。そこで、ゲームが成立している。

プレイヤーがすべて、ほどほどの合理的思考をするのであれば、成り立つ。実際、ゲーム会が終わった後ごはんを食べながらわたしたち愛好者が遊ぶのだから、これは全く問題ない。

e.

いっぽう、わたしには、常に自分が合理的だという自信が、あまりない。

だから、もし自分がそういうものを作るとするなら、もっとプレイしやすいものを考えると思う。ゲームがシンプルなのではなく、プレイヤーが一度に考える元の数が少なくて済むものだ。コマや盤があって、ビジュアルに状況を把握できたほうがいい。

たとえば、

  • 「領土を取るためにタイルを置きたいが、他人が置いているのでそこには置けない」
  • 「気がつくと手駒が尽きている」

ということが縛りとして機能する。

f.

これは、バランス調整の一部を「環境」にマップしていると言える。

「環境」を利用してプレイヤーの負荷を減らしているものに、自分はゲームの楽しさ、気楽さを感じると思う。

どっちのゲームがいい、悪い、という話ではない。

g.

ここからまた話が捩れる。

わたし個人の、プレイヤースキルの問題として、環境によって行動を制約されるのは、ためになることなのだろうか、と、いうことを、ふと思った。

ドブ川の喩えで言うと、ドブに落ちにくいように柵を設けることは、全体としては重要なのだが、すぐそこにドブ川が流れていることを意識して、柵のない道をドブに落ちないように歩くことが…そのぉ…自分にとってのほんとうの自由、ということではないのかと。

(まったく関係ないが、わたしは小さいころから胡乱な子供で、よくドブに落ちた。おつかいで買った塩を一袋カゴに乗せたまま自転車ごと落ちたこともある。)

g.

ゲーム話のまとめ。

  • 1.勝利条件が明確で、その条件に対してプレイヤーが十分合理的な行動が取れるとわかっているなら、必ずしも環境改変はしなくてもいい
  • 2.「環境を変える要請」は「ルールの把握量を減らす」ということであり、それはプレイヤーとしての堕落、自由の放棄かもしれない

h.

hは、はてなのhなので、はてな話。(もちろん偶然…とおもったらgが二つあった。かっこわるい)

この間、はてなブックマークのコメントの隙間を空ければ、みっしり詰まった馴れ合いやDISりには、一見見えなくなっていいじゃない! という要望を出した。

これ、本人はけっこう得意だったのだけれども、環境によってなんとなくおきている事態に、環境改変によってなんとなく解決を与える、というのは、コンサル的にはベターな案かも知れないが、実際にブクマを使うプレイヤーとしては、事態がよくなったわけではないんだよな、と思った。

え、結論ですか。「ブクマは正しく使いましょう」という……

たまたま『ライト、ついてますか』が職場にあった(いや、自分が買って置いていた私物)ので、読み返してみることにしたい。

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

環境管理型権力」という言葉で連想してだらだら書きました。