『博士の〜数式』をめぐる世評

「春秋」ごときに何を、というのはおいといて。
うまくいえないが…こういう都合のよさで、数学と美を手前勝手に結びつけられることに対する

  • (いわゆる)理系の不満
  • (いわゆる)文系の不満

というのはそれぞれあると思うんだよなぁ…。まぁ理系の人は「なんかまた文系がバカなこと言ってるよ」ってことなのかも知れないけど。文系も、不満というか、鑑賞という点から見たとき、「なんでそんな安い解釈するんだ?」ってのが、あるんじゃないか。

(追記:ここでの「文系」「理系」は勿論便宜的な言い方。二つの不満を同時に持つ場合もある)

小説の構成と、比喩として使われている数式がどうマッチするのか、っていうことは、鑑賞上の興味の対象になる。数式を理解しないなら読むな、ってわけじゃないけど(私もよく知らないし)、あぁなんかこの人は小説的なことがらと、数式の言っていることを重ねようとしているな、というところから、創作への興味や敬意も生まれるんじゃないかと思うのですね。

というか、そうか。元記事を書いた人にとって、これは数学的な「事実」についての小説だから、「春秋」にとりあげる価値があるってことなのかしら。そうなのかも知れないな…。ある人々にとって、作家というのは、おもしろい題材を取り上げて、事実を曲げずに人に読ませるルポライターのような仕事なのかも…。読書感想文には「すうがくのふかいせかいのことがわかってよかったです」と書けばよい。(この段、勝手な決めつけの上に皮肉を言うメソッドを適用)

もしそうじゃなかったら、SFがもっとたくさん読まれていてもいいし。