私は聖人君子ではありませんので

昨日のコメントの内容以外のセンスにつっこんでおく。まぁ、そのあたりの被ツッコミは覚悟された上で、私の態度がどうこうと仰って「ななし」で書かれている(実名で書いてもいいが内容的に人物批評などを含むので匿名のほうがよいと判断した)、のだろうから。

その前に、お詫び

昨日のコメントが言い合いになってしまったのは、私の最初の受け答えに誠意がなかったことも起因してると思いますが、最初、私は、コメントを書いてきたのは、「凹んだ」当事者だと思ったんです。それで「一般論としてまとめようとしてるところになんでめんどくさい絡み方を…」と思って、若干あしらうような答え方をしました。

感情を無用に逆撫でしたのでしたら申し訳ないです。

(あんたは自称「名無し」のコメントでも、実は誰が書いてるか邪推するのか、と聞かれそうなので、先に、はいそうですよ、と言っておく。プロトコルとして、見知らぬ人向けの最低限の受け答えで失礼がないようにとは考えますが)

で、気づいた点

  • 名無し
    • 名前を明かさずに言いたいこともあるし、それは実名での発言ときりはなしていいだろうから「名無しのくせに」とは思わない。しかし、その場の捨てハンでもいいのでその場での名前の一意性を保証していただきたい。anon_xyzとか、名無しAとか、他の名無しさんが書けるように配慮したほうがいいと思いますけども。
  • 言い逃げ姿勢
    • 失望しました、ではさようなら、は、ないっすよ。書いたことは常に残るし、そこからいつまた議論が起きるか解らない。
  • 慇懃プレイ
    • 駄文失礼しました、とかいう言葉使いする人のコメントは、一定のフィルタをかけて読むことにしてます。駄文と言いつつ、結局一言なんか言ってへこましたかったんですか、という。
  • 傷ついた人のことを考えろ、と言いつつ、常に上から目線
    • これは読者の判断にお任せいたします。しかし、「人として下」とか、わたしはよう言葉にして書かんです。そりゃどこかで漠然と、優越感や劣等感を感じてはいるのかも知れませんが、そんなことを言葉にして「あなたはこの人を自分より下だと思ってる」とか言えるその強さは何すか。そしてその尺度を簡単に人に適用して回れるのはなぜ。
    • もちろん、そう言われて、あぁそうだったかもと気づく部分はありますが…。
  • 見てもない、「凹んだ」という伝聞だけでその人の傷つき度合いを推し量り「凹ませた」人と卓を囲まないと言い切れるのは超能力
    • ある程度言った人も言われた人も、あぁこの人はそういうこと言う人だから、というコンセンサスができていたから、文句もそこまで唐突には感じなかった。まぁこれは私の主観です。なすべきことがあったのかも知れない。しかし私の主観よりも、その場にいたわけでもない人の主観が勝るのは如何。

えー、今唐突に思い出しましたけども、こういう突っ込まれかたは今に始まったことではなく、2004年の9月か10月ごろ、私は似たような不用意さで、似たような方に似たような指摘をいただいて「失望しました」の捨て台詞とともに去っていかれた記憶があります。気のせいだったかも。私も成長してないなぁと思います。